真夏の花園
辺りには水音だけが響いている。見渡す限り青い水面と色とりどりの花に包まれたこの空間は、まさに楽園。
真っ白な椅子へ腰掛けたわたしは側に置かれたソーダをゆっくりと飲んだ。喉に当たる炭酸の感覚が心地よくて、一息吐く。焼けるような日光を瑞々しい草木が遮ってくれて、潮風が無造作に髪を撫でていった。
「……本当に夢みたい。……まさか……全部作り物だなんて」
わたしは麦わら帽子を被ると、モンステラの大群を掻き分けるようにして歩き出した。
郊外に新しくオープンするリゾート施設で、社長が一部出資している関係から、宣伝にシャイニング事務所が大きく関わることになった。雑誌記事やグラビア撮影は勿論のこと、一番の目玉は新曲を使ったCMとのことで、今日はその撮影にやってきている。
もう曲の自体はほぼ出来上がっているからわたしの仕事は殆ど終わっている。でもCMに採用する箇所と微妙なアレンジの調整が必要とのことで呼ばれたわたしは、ついでに一足先にリゾート体験をすることが出来てしまった。
撮影が順調だから少し見て回っておいでと言われたのはいいものの、社長が関わっているだけあって本当に広くて本格的な施設にわたしは目を回しそうだった。
山の上にある施設なのにどこからか潮風まで吹いてくるのにも驚いたけど、目の前にどこまでも広がる森と海があまりに大きくて、わたしの足で端から端まで歩いたら一体何分かかるのか分からない。あまり席を外すのも良くないし、そろそろ帰ろうとしたのは……いいと思ったんのだけれど…………。
「あれ……?」
背丈ほどある花の間を避けて、進んだ先にあるのはソーダの瓶。さっきまでわたしがいた場所だ。受け取った地図を広げても、まず現在地が分からない。
「えっと……第三プールで撮影だからこっちに行けば良いはず……」
多分、と内心で前置きして、まだ誰も歩いていない道を進む。いつの間にか水音も消えて、姿が見えない鳥の声が辺りに響き始めた。この声も作り物かなと思う余裕はすぐに失せて、わたしはまた見慣れたソーダ瓶と二人きりになった。
「何で戻っちゃうんだろう……。早く帰らないと迷惑かけちゃう」
焦る気持ちとは裏腹に、何度やっても結果は同じだった。違う道を何度選んでも同じ場所に戻ってきてしまって、それなのに周囲の景色だけは変わっているみたいで。このまま一人で取り残されるかもしれないという不安がわたしの中で膨らんできていた。
作曲家がオープン前の施設で行方不明に――なんて縁起でもない新聞記事の見出しまで浮かんできて、少し視界まで滲んできていた。自分の方向音痴には随分悩まされたから、いつもは気をつけていたのに、どうしてこんな時に限ってそれが出てきてしまうのだろう。
このまま一人ぼっちで死んでしまうのかもしれない。疲れ果てて椅子に腰掛けた時、遠くから草木が揺れる音がした。
「すみません! あの、わたし迷ってしまって」
声をあげると、草木が揺れる音は凄い勢いで此方に向かってきた。そのスピードがあまりに速かったものだから少し怖くなって、もしかしなくても皆さんにとても心配をかけていて、撮影中断なんてことになっていたりしたらどうしよう。それでこんなに急いでわたしの所へ、と思うともう情けなさと申し訳なさですっかり身を縮めてしまった。
「申し訳ありません! わたしの不手際でご心配をおかけしました!」
がさっと一際大きい音がした瞬間、もうわたしは顔が上げられなかった。
「――ハルカ?」
「へ?」
顔を上げると、ポカンとした顔のセシルさんがそこにいた。
「なるほど、そういうことでしたか!」
「あんまり笑わないでください……。本当にわたし申し訳なくて、恥ずかしい…………」
「ああ、ごめんなさい。アナタがあんまり怖がっていたものですから。もう大丈夫。安心して良いですよ」
セシルさんは自販機からソーダを取り出して、わたしに手渡してくれた。わたしは片手にソーダ水、もう片方の手をセシルさんに繋いでもらって、無事に撮影所への道を歩き始めた。
セシルさんの話によると、随分長く感じたわたしが迷っていた時間は、実際は十五分も経っていなかった。
「きっとワタシ以外は誰も気にしていなかったと思いますよ。それにここは広いですからね。迷っても仕方ありません」
「そうなんですね。良かった……。あれ? それならセシルさんは何故あんな所にいたんですか?」
「ハルカの姿が見えなかったので探していました。監督に休憩中と聞いたのですが、少し気になってしまって」
「本当にすみません……」
「My Princess,気にしないでください。困っていたアナタを無事に助けられて安心しました」
そう言いながら手を引いてくれるセシルさんがあまりに優しくて、よく見ればセシルさんの衣装には慌てて駆けたからか、葉っぱが付いていたり少し乱れていたりして、本当に心配をかけてしまったとわたしは恐縮しきりだった。
「セシルさん、ちょっといいですか?」
このまま現場に戻るのは申し訳なくて、わたしは彼を呼び止めると葉っぱを払って、服を出来る限り整えることにした。ベストのズレを引っ張って、胸元のハイビスカスの角度を直して、顔を上げるとセシルさんは空いている手に黄色のハイビスカスを握っていた。
「ありがとう、ハルカ。最後にワタシのワガママを聞いてもらってもいいですか?」
「ええ、勿論です」
「今だけで良いのです。此方側に花を付けて」
「……はい」
本来セシルさんが付けていた方とは逆側に、わたしは花を挿し直した。褐色の彼の膚に美しい花は照り輝くような色を添えていて、わたしの手は思わず止まってしまう。セシルさんの手もわたしに伸びていて、被っている帽子の左側にくすぐったい感触があった。そのままセシルさんはわたしの手を引いて、近くの水面へと導いた。
「ほら、お揃いです。綺麗でしょう?」
「わぁ……!」
同じ色のハイビスカスがわたし達の頭に飾られている。セシルさんの言うとおり、彼と同じ色、同じ場所。ただそれだけで、さっきよりもずっと綺麗に見えた。
「こういうことは今は二人の時にしか出来ないので、だから見ることが出来て良かった。本当に美しいです。My Princess」
「ありがとうございます。すごく嬉しいです! セシルさんも本当に素敵です!」
セシルさんは少し照れたように笑って、わたし達は繋いだまま撮影所の近くまで戻った。分かる場所に来た時は本当に安心した。周りに誰もいないうちに、そっとハイビスカスの位置を戻すことさえ、秘密を共有しているようで。
何気ない顔をしてわたしはスタッフへと溶け込んで、少し時間をずらしてセシルさんも一人のアイドルへと戻る。それでもわたしは側頭部に残る感触と眩い花の情景を胸に抱き続けていた。
シャニライURが好き過ぎてまだ設定もろくに出てないときに全て捏造して殴り書いた話。頭の左側に花を付けるのは既婚者の意。
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