Evergreen

 昔から、緑が好きだった。最初は単純な色の好みだったんだと思う。家にある古いアルバムを捲ると、緑の服を着た僕の写真が何枚もある。もっといろんな緑が見たくて、小学校に入る頃には植物を育て始めた。植物の葉は様々な緑に満ちている。パキラ、オリーブ、モンステラ……子供に育てられたのはその程度だったが、よく見れば葉の一枚一枚まで色が違っていて、僕はその微妙な違いを眺めながら感嘆の溜息をついたものだ。  真夏の深緑も好きだったが、僕が一番好んでいたのは、春先の新緑だった。生命力に溢れる黄緑色を眺める度に、心が洗われるような気がした。  そうして僕は年齢を重ね、庭師として働くようになっていた。今はそれなりに大きな庭園に雇われて手入れをしながら暮らしている。庭園は色とりどりの花がメインで僕の好みからは多少外れていたが、他の職員と会話することもなく、植物だけを見つめればいいこの仕事を僕は気に入っていた。人との交流よりも緑溢れる植物を僕は愛していたのだから。  そうやって穏やかな日々を送ると思っていたある時のことだった。事務所に顔を出すと蜂の巣を突いたみたいな騒ぎになっていて、近くにいた事務員の女の子に詳細を聞くとテレビの取材が入るという話を興奮気味に話してくれた。周囲の職員も一人残らず大はしゃぎしている。なんでもとても大きな番組で、ゲストとして人気アイドルが来るらしい。  正直どうでもいいと思った。アイドルなんて誰も知らない。適当に聞き流して仕事に戻ったのだが、上司から呼び出されて僕が職員の代表として番組に出るのだと告げられた。僕より適任なんて幾らでもいると食い下がったが、トラブル防止の為になるべくアイドルに興味がない男性職員に出演して欲しいと指示があったのだと告げられた。それなら確かに僕以上の適任はいないだろう。上司に必死に頭を下げられて、僕は渋々了承した。  事前に台本だの資料だのを渡されて、流れを必死になって覚えているうちに取材の日はやってきた。庭園の花が咲き始める春先の日だったことを今でもよく覚えている。本来なら新芽の数を数えて、水をやっている筈の時間に僕はどやどやとやってきた撮影スタッフ達に囲まれて立ちすくんでいた。 「愛島さん、カミュさん、入りまーす」  妙に間延びしたスタッフの声が響くと同時に、二人の外国人が歩いてきた。事前に渡された資料に書いてあったから、その二人がアイドルだとすぐに分かった。 「貴方が今日ご案内してくださる……さんですね」  先導して歩いていた白人の方が愛想がいい笑みを浮かべながら頭を下げる。 「カミュと申します。よろしくお願いします」 「ワタシは愛島セシルといいます。……さん、よろしくお願いします」  カミュさんに引き続いて、隣に立っていた褐色肌のセシルさんは深々と頭を下げた。丁寧な人達だ。売れているアイドルとは聞いていたから、それを鼻に掛けた奴らが来たらどうしようと不安だったので、ひとまずほっとした。 「カミュさんに、セシルさんですね。よろしくお願いします」  僕の返事を聞いて、二人は顔を上げる。その時、セシルさんと目が合った。綺麗な黄緑がそこには光っている。 「綺麗ですね。新芽色だ」  咄嗟にそう口にして、しまったと思った。あまりにも脈絡がないことを口走ってしまった。セシルさんも二三度瞬きをしている。慌てて謝ろうとした瞬間、セシルさんは穏やかに微笑んだ。 「ありがとうございます。ワタシもこの目の色は気に入っているのです」 「そ、そうなんですね」  慌てふためく僕を余所に、セシルさんとカミュさんはもう一度軽く頭を下げると、歩き去って行った。  それから打ち合わせをして、撮影は始まった。僕は職員として要所で花の解説をしながら、カミュさんとセシルさんを案内していく。途中で何度か言葉に詰まったが、二人とも質問を言い換えてくれたり、自然な繋ぎになるように調整してくれたりとフォローしてくれた。  人前でこんなに植物について話すのは初めてだった。カミュさんもセシルさんも親切だったが、特にセシルさんは映像チェックを待つ間なんかもあれこれと僕に質問してくれた。 「こちらの花はいつ頃咲くのですか?」 「それは白百合ですから五月頃、あと少ししたらつぼみが付きます」 「Amazing…….ではこれは?」 「プリムラ。秋から春にかけて咲く花です。今の時期は終わりかけですね」 「すごいです。この庭園でアナタの知らない花は一つもないのでしょうね」 「えっ……。いや……そんな」  セシルさんの言葉には何の他意もなくて、ただ僕の仕事への敬意だけがあった。そんな風に人に接してもらったことがなくて、僕はもごもごとよく分からない返事をした。 「ああ、この白バラも美しい。どんな手入れをしているのですか?」 「セシル。そう矢継ぎ早に質問をすれば彼も困ってしまいますよ」 「そうですね。すみません、あまりにも美しい庭園なのでつい夢中になってしまって」 「いえ……全然いいです。はい」  近くのベンチに座っていたカミュさんに止められて、セシルさんは苦笑いをする。細められた目からはあの綺麗な緑が覗いていた。  それからも撮影は順調に続き、昼食休憩の時間になった。休憩時間になるとカミュさんは急に顔つきがするどくなって、まるでスパイ映画にでも出れそうな気迫で庭園で売られているソフトクリームを食べていた。  番組スタッフから手渡された弁当を片手に、僕の視線は無意識に人の間を泳いだ。あの綺麗な緑は……と思いかけて、僕は自分がセシルさんを探していることに気づいた。その事実に僕は少なからず驚いた。他人と昼食を取りたいなんて思ったことは初めてだった。だけど、セシルさんはどこにもいなかったので、庭園の片隅に座って植物を眺めながら弁当をもさもさと食べ進めた。  弁当自体は美味しかったのに、なんだか箸が進まなくて、ようやく食べ終わった時には休憩時間が終わる十分前だった。ゴミをしてて立ち上がると、カミュさんがイライラしたように腕時計を何度も見ていることに気づいた。 「どうしたんですか」  おそるおそる声をかけると、カミュさんは一瞬でにこやかな表情を作ってくれた。 「いえ、セシルがまだ戻ってこないのです。日頃から十分前行動を心がけるようにと言っているのですが」 「この庭園は広いから、道に迷ったのかもしれません。セシルさんは植物に興味を持ってくれていましたし、他の場所も見てくれようとしたのかも……」 「困ったものですね」  カミュさんはそれほど焦っていなかったが、僕はなんとなく不安でうろうろと近くを歩いた。僕があんなに話したから、他の場所も見てくれようとしたんじゃないか。姿もずっと見えないし、もし怪我でもしてたらどうしよう。探しに行かなくちゃ、そう思って駆けだそうとした瞬間、ガサッと大きな音がした。  音のした方を振り返ると、そこは僕が作った緑のアーチがある小道が広がっていた。まぶしいくらいに日光が降り注ぐ中に、彼はいた。咲き始めた白薔薇から透ける光を反射して、キラキラと黄緑の瞳が輝く。相当焦っていたらしく、少しだけゆがめられた端正な顔、そして彼の髪にはまるで飾られたように白い花弁が幾つも乗っていた。  目が合う。僕を見た瞬間、セシルさんは安堵したように微笑んだ。彼の瞳の中、美しい新緑の色に僕が写っているのがはっきりと分かった。  セシルさんは僕の方へと駆けてくる。はらはらと花弁を落としながら。春先、まだ初々しい緑と、咲き誇る花に囲まれた空間の中にいるセシルさんの姿は、まるで彼自身が大輪の花みたいだった。彼の内包する新緑はどんな葉よりも、花よりも美しかった。春を司る神様が僕に向かって駆けてくる――そんな幻想まで抱く。息が出来なかった。 「すみません! 道に迷いました」  そう言って僕の目の前でセシルさんが立ち止まると、彼の髪からは祝福のように花弁が落ちる。僕は思わずそれを両手で受け止めた。ありがとうございます、と言って微笑む彼は綺麗だった。  初めて、人を美しいと思った。  まだ休憩中にセシルさんが戻ってきたこともあり、つつがなく撮影は再開され、そして終わった。庭園にアイドル達の姿はとてもよく馴染んでいたし、放映後は庭園の来客数も爆発的に増えた。番組に出た職員ということで僕はお客様から解説を求められることもあった。面倒ではあったけど、お礼を言われると悪い気はしなかった。  あの番組は録画して何度も見返している。僕が見た情景を思い出す手段の一つだからだ。でもこのデータが消えてしまっても、多分忘れることはないだろう。  僕が育てた植物たちに囲まれる中で、一際美しく咲いていた彼の姿――きっと春が巡る度に思い出す。

Shiningradio stay tunedより、愛島君が庭園に花弁を頭に乗せて駆けていたという情報から居ても立っても居られずに書いた話。

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