遠き日のアリア

 恋とはどんなものかしら、そんな風に歌っていたのは大昔に父親と見たオペラだった。もうその時には立派な思春期に突入していた僕は、そんなもん自分で考えろとしか思えず、結局その曲のタイトル以外何も覚えていない。  実はこの曲の存在自体も最近まで忘れ去っていたのだが、あることがきっかけでふと思い出した瞬間、それに歌われている想いに年甲斐もなく頷いてしまった。  幸か不幸か、今まで何かに大きく心動かされることもなく生きてきた。友達はいても、親友はいない。ガールフレンドはいても、恋人はいない。クビにはならないが、出世もしない。それなりに生きていく毎日が死ぬまで続くのだと、そう思っていた。  始まりはちょっとしたものだった。テレビのチャンネルを出鱈目に切り替えていた時に何気なく映った存在の物珍しさに心引かれた。そこにいたのはやや幼さを残した外国の子供だった。まだその時は外人タレントという存在が珍しかったのもあり、僕はリモコンを床に置いて暫くその子供を眺めていた。  歌番組の新人紹介コーナーに出ていた彼の名前は愛島セシルと言うらしい。わざとなのか、ややたどたどしい日本語で自分の曲について語っているセシルを僕は眺めていた。褐色の膚と碧の目という色の組み合わせも、座っていても分かるスタイルの良さも、気品のある顔立ちも到底僕の周りでは見ることが出来ない。こんな人間もいるのだなぁと考えてまたリモコンに手を伸ばしかけた時、セシルがステージに登った。  彼が歌い出した瞬間、僕は再びリモコンを置いた。先程までの上品な印象を残しつつも聞いている人間をまるごと巻き込むような情熱的な歌声に僕は耳を疑った。そこから先はよく覚えていない。強いて言うならセシルが退場した瞬間、傍らに置いていたスマホを握り締めて必死に検索したことくらいだ。情報は殆ど無かった。事務所が用意した簡素なホームページと所属タレント一覧、それだけがネット上にあるセシルの全てだ。まだCDもロクに出ていない彼は本当に駆け出しの新人だった。それもあのやや幼さを残す面差しから考えれば納得もいく。あまりにも違う年齢に身近には決していない外見、そしてあの衝撃的な歌、言うならばセシルは僕に取って非日常の象徴だった。  それからは毎日、何気ない瞬間にセシルのことが頭にチラついた。何故かは全く分からない。発売されていた数少ないCDを取り寄せて、延々と聴いた。更新されている情報は全て確認して、開かれたイベントにも出来る限り足を運んでいる自分がいた。会社に持って行く弁当を作りながらセシルもこんな風に飯を食べるのかと想いを馳せて、ワンカットだけ出ていたCMと同じブランド服を買って、そしてまたイベントに行く。  新人なだけあって僕と似たような存在はまだ数える程しかいなかったし、拍子抜けするほど簡単に目の前で歌っている姿を見れた。それでも感動は劣化するどころか、ますます僕の心は震えていた。今まで何処かに置き忘れていた情熱がセシルを介して全部呼び覚まされたみたいだった。ただ目の前の存在が眩しかった。  だからこそ、僕とセシルの間の距離が離れていくまでほんの一瞬だった。最前列にたどり着くまで何時間も前から並ばなければいけなくなって、良席を祈りながら抽選をするようになって、そもそも入場出来るかを願わなければならなくなって、それをくぐり抜けて見える姿は豆粒よりも小さくなった。  初期から応援している人間なのだから、アイドルの立身出世は喜ばなければいけない。普通ならばそうである筈なのに、僕の胸に去来しているのは寂しさばかりだった。気分が良い時は僕の見立てに狂いが無かったことを祝福することだってある。けれども何故か、どうしようもない切なさが僕の胸を満たしているのだ。あのオペラを思い出したのはこの時期だ。恋とはどんなものかしら、時に喜び、時に苦しみ、苦悶して期待する身勝手な感情を愛しげに歌うあの曲は僕に謎の答えを教えてくれた。  情熱的な愛を歌って僕の初恋を呼び起こしたその男の子は、今ではもう立派な青年になってしまって、僕どころか誰も手が届かない場所にいってしまった。今更気付いたところでもう何も出来はしないのだ。初めて見たあのステージを思い出す度に、未だに何とも言えない気持ちになる。恋とはどんなものなのか、何も知らずに生きることと、どうしようもない苦悩と幸福を抱えて生きることと、どちらが幸福だったのだろうと。

ピアノソナタとオペラを交互に流しながら書いた話。

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで