朝を待つ

 暗闇に包まれた部屋の中で、玉虫色の輝きが二つ点った。 「……まだ、夜?」  その瞳の持ち主であるセシルは壁に掛けられた時計を見上げる。暗がりの中で見えた時刻は三時四十五分。深夜とも、早朝とも言い切れない微妙な時間だった。二度寝をしようかともセシルは考えたが、そうするにはやけに目が冴えている。  その時、隣で穏やかな寝息を立てていた筈の春歌がいないことに気づいた。数秒の思案の後、セシルはベッドを抜け出してキッチンへと向かった。 「あ、ええと、おはようございます?」 「おはようございます……なのでしょうか?」  セシルが薄々予想していた通り、春歌はキッチンで電気ケトルを手に取っていた。 「春歌も目が覚めてしまったのですか?」 「はい。また寝てしまおうとも思いましたけど、何か温かいものを飲みたくなって」 「いいですね。ワタシも一杯頂いてもいいですか」 「じゃあミルクティーにしちゃいますね」  春歌は二杯分の水を入れて、ケトルのスイッチを入れる。セシルは揃いのカップをテーブルへと運んだ。そのまま二人は椅子へと腰掛けた。周囲はまだ暗く、煌々と明かりが灯るこの場所だけが世界から切り離されているようにセシルには思われた。 「わたし、この時間の空気感が嫌いじゃないんです」 「ええ。とても穏やかだと思います」  外を走る車の音さえなく、歌う鳥達も眠りにつく時間だからこそ、辺りは静寂に包まれている。だからこそ、二人が言葉を交わす声もほんの小さな囁きで事足りた。 「実は……昔のワタシはこの時間帯が少し苦手でした」 「えっ」  その時お湯が沸き、春歌は少し名残惜しげに立ち上がると、ポットにお湯を注いだ。セシルは冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、話を続けていく。 「祖国の儀式で、交代しながら夜通し歌うというものがあったのです。眠いなどと思ってはいけないと思うほど、辺りは静か過ぎて、ますます眠たくて、やり遂げるまでとても大変でした」  どうしてもこの時を思い出します、とセシルは苦笑いしながらカップに牛乳を注いでいく。春歌もその後から紅茶を注いだ。それぞれ一つずつ角砂糖を入れると、二人は再び椅子に腰掛ける。 「……そんなことがあったんですね」 「ああ、ごめんなさいハルカ。まだこの話には続きがあります。アナタを悲しませたい訳ではありません」  セシルは目を細めながら春歌の髪を指で梳いた。それに促されるように、春歌はミルクティーを一口飲む。 「この時間の思い出は、この国に来てから沢山増えました。仲間達と語らって、ファンの皆さんがSNSで交流しているのを見て、アナタとこうして過ごすことも出来る。この時間の優しさに身を委ねていられるようになりました」 「よかった……。セシルさんがそう思えるようになったなら、本当に嬉しいです」 「ありがとう。それに昔のワタシはこの時間に起きているには少し幼すぎたのでしょう。年を経るごとに好きなものは増えていきますね」  そのまま二人は言葉少なに語り合いながら、ミルクティーを味わった。僅かな甘みを秘密のように共有している間は、穏やかな時間に溶けていられる気がした。 「そういえば、わたしがこの時間が好きな理由がもう一つあるんです」 「何でしょう? 教えてください」 「ええ」  空になった二つのカップを洗って戸棚にしまった後、春歌はセシルの手を引いて廊下へと出た。そのまま窓辺に近づき、春歌は外をそっと指さす。セシルが覗き込むと、遠くの空が美しく色を変えつつあった。辺りはまだ夜のとばりに包まれているが、その空だけが新しい日を告げている。 「これは……美しいですね」  そうでしょう、と春歌は微笑む。少し悪戯めいた表情は珍しく、あの空と同じくらい美しいとセシルは考えたが、敢えて口にはしなかった。 「もっとこの時間が好きになりました。また一緒に夜更かししましょう」 「はい。たまになら」  二人は顔を見合わせて笑うと、同時に小さくあくびをした。繋いだ手を離さずに、セシルと春歌は寝室へと戻っていく。扉が閉まる音が、静かな廊下に響いた。

深夜のちょっと特別な空気感大好き。

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