過ぎ去る日々、これからの日々

 頬を撫でる風が優しくなる季節、わたし達は学園の寮から事務所の寮へと引っ越しをした。ここに至るまで本当にいろいろなことが立て続けに起こって、目が回りそうだったけれど、セシルさんとこうして穏やかに過ごせることが本当に奇跡みたいに思えてしまう。事務所に所属してからはもっと忙しくなるだろうから、今だけの時間をゆっくり楽しみたい。それはセシルさんも同じだったみたいで、わたし達は部屋が隣同士なこともあって、一緒にいない時間の方が少ないくらい同じ時間を分かち合っていた。  その日はたまには気分を変えようと朝から外のスタジオで打ち合わせをしてみた。ずっと校内のレコーディングルームで過ごしていたから違う環境が新鮮で、数時間後には持ち寄った思い付きがまた一つの形に近づいていた。こうして出来上がったのをまた一人で構成し直して、新しいものを付け足して、そしてもう一度二人で検討する。時間がある今のうちにいろんなお仕事に対応できる引き出しを少しでも増やしておきたかったし、こうして新しい音を二人で見つけていくことをわたしは単純に喜んでいた。 「そろそろ時間ですね。もう出る準備をしなくては」 「はい。やっぱり人気のスタジオだと借りていられる時間が短いですね。もう少し続けたかったんですけど……」  楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまうのが勿体なく感じて、わたしは荷物をまとめながら視線を落としてしまうのを止められなかった。鞄を抱えたセシルさんはわたしの髪をそっと撫でると、甘い声でわたしの名前を呼ぶ。 「ふふっ、そう言うと思っていました。実は午後には事務所のレコーディングルームを予約しているのです」 「わぁ! ありがとうございます」 「アナタが微笑んでくれて嬉しい。午後からも頑張りましょう」  わたしが慌てて荷物をまとめるのをセシルさんも手伝ってくれて、わたし達はすぐにスタジオを出た。街中にあるスタジオだったから、外に出ると人波が一気に流れてきて、わたし達は慌てて裏通りに移動した。 「レコーディングルームが使えるまで少し時間がありますね。一旦、寮に戻りましょう」  セシルさんの言葉をうけて腕時計を覗くと、たしかにあと一時間くらいは余裕がある。それぞれで休憩してもいいけれど、今日のわたしは少しだけわがままだった。 「あの、せっかくですからわたしの部屋でお昼ご飯も一緒に食べませんか?」 「喜んで! ワタシはハルカの作ったお昼ご飯が食べたいです」 「もちろんです。今だと冷蔵庫に何があったかな……」  セシルさんが顔を輝かせたのを見て、わたしも顔がにやけてしまいそうになる。慌てて冷蔵庫の中身を思い出すことに集中した。卵があるから多分それをメインにして、ウインナーも焼いて、でもそれだとちょっと朝ご飯みたいになってしまうし。いろいろ考えているわたしの手をセシルさんはそっと引いて、導かれるままにわたし達は歩き始めた。  でも大通りに戻る時になると、わたしはちゃんと自分から手を離す。セシルさんは少し寂しそうだったし、彼の瞳に映っているわたし自身も同じ顔をしていた。早く寮に戻らなければと少し歩調を速めた時、その声はわたしの耳に届いた。 「あら、春歌ちゃん! 久しぶり~」 「えっ……あぁ! おばさま! 久しぶりです」  顔をあげると、満面の笑みをうかべたおばさまがわたしに向かって手を振りながら駆け寄ってきていた。わたしは驚いて、手を振り返すことしか出来なかった。 「あの方は……?」  セシルさんの声でわたしは呆然として状態から立ち直る。 「母方の叔母です。わたしの地元に住んでいらっしゃる筈なんですけれど……」  そう囁き合っているうちにおばさまはわたし達の前に立った。小さい頃はよく遊んでもらったけれど、最近はほとんど会うこともなくなっている人だった。なんだか少し照れくさかったけれど、元気だったって懐かしまれながら声をかけられるのは悪い気持ちはしなかった。 「本当に春歌ちゃん? 髪切ったのね。綺麗になって~」 「おばさまこそ、こんな所で会えるなんて!」 「旅行中なの。これから友達と待ち合わせよ。そうじゃなかったら、春歌ちゃんとお茶したかったんだけどね。ところで、そちらの方は? 彼氏さん?」  おばさまはセシルさんを見て、ちょっと大げさなくらい驚いているみたいだった。たしかにセシルさんはかっこいいから分かるけれど、他に親戚に噂(事実だけれど)が広がったら困るのはわたしだけじゃない。 「ハイ! ワタシは愛島セシ……」 「ちがっ、違います! 彼氏じゃなくて、パートナーの愛島セシルさんです! セシルさんとは一緒に学園で曲を作ってて」  わたしが慌てて訂正すると、おばさまはやや怪訝な顔をしながら頷いている。 「ええ。ハルカはワタシにとってかけがえのない作曲家です。ワタシは彼女の曲でアイドルとして歌えるのです」 「まあ、アイドル? 凄いじゃない!」  セシルさんが改めて口を開いた時、おばさまは納得してくれたみたいだった。セシルさんはわたしの方を見ると、励ますみたいに笑ってくれた。 「そうです。さっきまで打ち合わせをしていました」 「確かシャイニング事務所でしょう? じゃあ本当に彼氏さんじゃないのね。ごめんなさい。失礼なこと言っちゃった」  おばさまはセシルさんに軽く頭を下げる。何とか納得してもらえたみたいで、わたしはほっとして全身の力が抜けた。 「愛島セシルさんね、覚えておくわ。……春歌ちゃん良かったね。ずっと音楽好きだったもんね」  おばさまの目には薄ら涙が溜まっているのを見て、わたし達は驚いて顔を見合わせた。 「大丈夫ですか、おばさま?」 「ごめんごめん。年取ると涙もろくなっちゃって。あんなに恥ずかしがり屋さんだったのになぁと思うとじーんとしちゃうの。CD買うからね」  おばさまは遠い目をしながらわたしの肩を何度か叩くと、頑張ってねと言ってくれた。そんな純粋な応援を受けたのが嬉しくて、なんだかわたしまで涙が出そうになってしまう。手を振りながら人波に消えていくおばさまを見送って、わたし達は少しだけ距離を縮めて寮まで歩いた。 「ハルカは親戚まで素敵なのですね。優しそうないい人でした」 「はい。とてもいい人なんです。久しぶりだったから驚きましたけど。あの……合わせてくれてありがとうございました」  寮の門をくぐってから、わたしはセシルさんに頭を下げた。セシルさんは合点がいったような顔をして、クスクス笑った。 「ああ、気にしないで下さい。彼氏さんとして会うのはもう少し先の話ですね」 「もどかしいですけれど、これは仕方がないです」 「今はワタシ達の曲を聴いてくれるだけで充分。あの方もときめくような曲を作りましょう」  表立っては言えなくても、わたし達には愛を込められるものがあるのが嬉しかった。ますますやる気が溢れてくる。わたしは昔から引っ込み思案でそれでも音楽が好きで、その一心で受けた学園でセシルさんと出会うことができた。そして音楽を通じてセシルさんと一緒にこの想いを沢山の人に届けられるようになった。おばさまが喜んでいたのは、そんなわたしの変化を感じ取ってくれたからだ。それに少しでも応えたい。自然と歩調は早まって、最後は半ば走るようにして、部屋への道を二人で並んで進んだ。自然と伸ばされた手を、今度はしっかりと握り締めて。

予想外に長くなった話。春歌ちゃんの親戚になってある日アグナパレスの王女様になったと聞いてひっくり返りたい。

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