夢の跡

 愛島セシルは誰よりも人気のトップアイドルだ。俺はその定義が過去形になることを願い続けている。  いつから俺の人生はこうなったのか、考えるだけで気が狂いそうだ。早乙女学園を卒業した後、学友達を蹴落として事務所本所属までこぎ着けたのに。トップとまでは行かずとも俺はそれなりに人気を集めていたアイドルだった。小さい箱だったがライブだって出来ていたし、CDだって百位以内には――。  だが、ある時から勝手が変わってしまった。芸能界に愛島セシルが現れたその瞬間から。デビューし始めこそ若干ごたついたらしいが、彼奴はすぐに事務所の主力へと駆け上がっていった。本当に一瞬の出来事だった。町の女達はCDを買い漁り、よく知りもしない外国を足りない頭で夢見始めた。  世間からの俺への風向きが変わったのもその頃からだった。……正直に告白しよう。俺はファンをセシルに奪われていた。デビューしてから一向に芽が出ない新人アイドルを女共はあっさりと見捨てていき、後には数える程しか残らなかった。そして俺を見捨てた女達が代わりに見つけた偶像が愛島セシルという訳だ。俺が小さなライブハウスで燻っている間に、セシルはアリーナライブを成功させ、俺が一年掛けてやっと一回飾った雑誌の表紙を、彼奴は三ヶ月連続で彩っていた。その時にはパートナーだった作曲家は見切りを付けて実家に戻っていた。それでも、どうしても俺は諦められなかった。万雷の拍手を、溢れんばかりの名声を何度も何度も思い描いた。やれる仕事は全部やった。歌だって、ダンスだって負けているつもりは無かった。トークなんかこっちは母国語だ。なのに、世間が視線を向けるのはセシルに対してだけだった。俺は自分より売れているアイドルは全員嫌いだったが、特にセシルは俺の神経を逆撫でし続けた。それは同じ事務所だからということでも、ファンを根刮ぎ奪われたこともあるが、何より腹立たしかったのが、彼奴には本業が別にあったことだった。  セシルは某国の皇子様だ。キャラ付けでも何でも無く、本当に。つまり彼奴は期間限定のアイドルだ。パフォーマンスも下手では無いが、俺より打ち込んできた時間だって短い筈だ。何もかも本業じゃない。それなのに、彼奴は誰からも愛されているのだ。きっと背後のコネが大きいからだと思いたかった。それなら俺はどれだけ救われたのか分からない。だが、腐っても同業者だから分かってしまう。彼奴はコネも何も使わずに、自分の力だけで今の地位に居座っていた。そして近い未来にそれを全て捨てて国に帰るのだ。人気も、地位も、名声も、歓声も。俺が何よりも望んでいた物を。そう考える度に羨望と憎しみで頭がおかしくなりそうだった。セシルさえいなければ、俺の人生はもっと恵まれていた筈なのに、彼奴は俺の人生を滅茶苦茶にするだけしておいて、全く別の成功に歩いて行くことが決まっている。考えないようにしようと思うほど、CM、ライブ、TV、ラジオ、広告に居座るセシルが俺を嘲笑う。俺がいる筈の場所で愛島セシルは嗤い続けていた。  そうしている間に数年の歳月が流れ、最早俺とセシルの差はどう足掻いても埋まらない物になっていた。今更セシルが国に帰った所でもう俺のファンは戻らない。そもそも当時の連中に覚えられているかも怪しい所だ。俺が事務所から新曲を回して貰えなくなってもう半年になる。アイドルを自称するには、俺は年を取り過ぎていた。  そんな中で事務所が主催する番組の賑やかしに俺は出演することになった。ひな壇の一番端とは言え、数ヶ月ぶりのTV出演だった。久しく浴びていなかったスポットライトを思うだけで、緊張で手が震えた。狭い楽屋には俺以外誰も居ない。時間を持て余した俺は意味も無くエゴサーチを繰り返し、誰も俺のことを話していないのを無意味に確認していた。皆が話しているのは俺以外のアイドルばかりだった。そして愛島セシル、彼奴も当然のように話題の中心に居た。名前を見るだけで反吐が出そうで、俺は携帯をバッグに放り込んだ。  その時、部屋のドアが叩かれた。芸歴だけは長い俺に誰か挨拶にでも来たのだろうか。随分律儀な話だ。慌ててドアを開けると、其処には愛島セシルが立っていた。  その場で叫び出さなかったのが奇跡だった。本日はよろしくお願いします、と高い背を曲げて礼をするセシルを俺は呆然として眺めていた。仕事のランクなんか一致したことも無かったからこんなに間近で見るのは初めてだった。  ――惨めだった。俺みたいな年月しか重ねてないような男にまで、挨拶に来るような奴だなんて、完敗じゃないか。人気なら人気らしくふんぞり返って居ればいいのに、こんなの俺が哀れなだけだ。セシルは俺の曲を聴いたことがあって、会いたかったのだとほざいていた。あれか、もう在庫はこの前処分されたよと言ってやったらどんな顔をするんだろうか。この業界で生き残り続けて凄いだとか、とても素晴らしい音楽だとか、そんなことを屈託無く語りかけられるだけで気が遠くなった。セシルはお世辞でも何でもなく、心からそう思っているらしいと伝わることがそれに余計拍車を掛けた。相槌しか打てないでいる俺に何を勘違いしたのか、話し込んですみませんと謝るその姿まで愛嬌と華がある。俺には無い物が。俺はセシルに嫉妬し続けてこの数年を生きていた。だが、それは根本から間違っていたのだ。俺とセシルなど比べるのも烏滸がましいほど、格が違っていた。  また一緒に共演したいと告げられ、ドアが閉まる。俺はただその場に蹲り、自分が浪費した年月について考え続けていた。スタッフが俺を呼ぶ声がする。俺はその場から動けなかった。その日から、ライトが俺を照らすことは二度と無かった。

全ての人間に光が当たる世界ではない。

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