カーテンコール・スクラップ

醜悪な男の話1

 奇跡のようなこの日々を記録に残さないと勿体ない。そう思ったから僕は手記を残す事にしたのです。  ……さて、どこから話せばいいのか。何をやっても上手くいかない人生でした。本当は僕、立派な新聞記者になりたかったんです。社会の悪を暴いていろんな人を助けるのが夢でした。その為に努力もしました。勉強だって打ち込んだし、文章を書くことだってずっとやり続けた。  でも現実はとても厳しいものでした。僕は就活に失敗して、そのストレスで肥え太って、あちこち流れて結局この会社に拾って貰いました。芸能ゴシップばかりの三流雑誌程度しか発行していない所ですが、それでも僕は記者という肩書きが欲しかった。  でもやはり、上手く馴染めませんでした。周りからドヤされて、見下されて、嫌われてもう嫌で嫌で。僕だけじゃありません。あいつは裏金を貰ってる、あいつはでっち上げをしている、そんな世界でした。僕の憧れなんて何処にも無かった。僕だけが虐められる。いつか見返してやる。絶対に殺してやる。出来もしないくせにそんなことばかりを考える毎日でした。そんな僕に唯一優しくしてくれたのが、取材先で会った彼でした。  …………あの時はまだ彼も駆け出しだった。だから僕のような人間でも会えました。ハンカチです。ある時落とした僕の汗塗れのろくに洗ってない黒ずんだハンカチ。  ゴミでも見るようにして視線を送る周囲とは違って、彼は何のためらいも無く、それを僕に手渡してにっこり笑ってくれたんです。たったそれだけのことです。  しかし、僕はその優しさがずっと忘れられませんでした。この世界に身を置くようになって初めて触れた温かさ、それがどれほど鮮明なのか、分かる人はそういないと思います。  それからずっと事務所から断られるまで、僕は彼を題材にして記事を書いてました。  こんな仕事です。ステージで輝く彼も、歌う彼も、番組で笑う彼も、何もかもよく見える。カメラを向けた時のはにかむような眼差し、語られる言葉から見える内面。こんな素敵な人がこの世にいるなんて信じられません。  彼の存在を感じること、それだけが仕事中の、いや、僕の人生の救いでした。  愛島セシル、嗚呼なんて可愛らしい名前なんだろう。セシル君。セシル。  きっと運命だ。彼はよくファンの子に運命なんて言っていましたが、僕にとってはそれ以上だ。真実の運命は僕にあるんだ、そう思う毎日でした。  そしてある日、変わったんです。僕の周りが、何でも思い通りになるんです。  どうしてそうなったか、なんて僕は知りません。興味もありません。大事なのは頭の中で念じさえすれば、周囲の人間が僕の言うことを聞いてくれるようになったということです。僕は気づきました。この力を使って夢を掴むことが出来るかもしれないと。  だって何でも思うがままなんですよ。でっち上げじゃない真実を僕の手で生み出すことが出来る。どんな特ダネも思うままだ。  とはいえ僕の力には一つだけ弱点があって、言うことを聞かせる為の命令だけは近くで念じないとダメみたいでした。  だからまず政治家なんて大物は近づけないから難しい。そして、どうせ起こすなら単純な事件ではいけません。  記事を書いた僕が注目されて、世間がひっくり返るような事件。ですが、それこそ何の罪も無い人達を大量に巻き込むような、例えば大量殺人をさせるなんていうのは流石に僕が罪悪感に耐えられそうにありません。やはり書き慣れてしまった芸能スキャンダルで、世間から注目されるような事件を起こそうと決めました。  相応しい相手は――と考えた時に真っ先に浮かんだのがセシル君でした。僕は彼が本当に好きだったんです。  セシル君は優しい人です。僕の為に人生を捧げても、彼だったら許してくれそうな気さえしていました。  だからせめて僕の踏み台になる過程で、少しでもセシル君が幸せを感じてくれたらいいなって思ったんです。――そんなのは言い訳ですね。僕は過程でも楽しみたかったんです。夢を叶えたセシル君が夢を叶えられなかった僕に踏み台にされる、それは凄く痛快なことのように思えました。  僕は彼を愛していましたが、それと同じくらい憎んでいたのかもしれません。だってそうでしょう。  最初、彼は僕でも手が届くような場所にいたのに、瞬く間に夢を叶えて僕を置き去りにしてしまったんです。  僕の取材を断られた最初の日を今でも夢に見ます。  セシル君はとうとう僕のような三流記者が望んでも会えない、事務所から本格的に守って貰える立場まで昇ってしまったのです。  事務所の人間が僕に決まり切ったお断りの台詞を言うのを聞きながら、もう彼に会えないという事実を噛み締め続ける無力感。親近感まで抱いていた子供に追い抜かれた悔しさ。耐えられなくて、辛くて、自宅に帰ってから少し泣きました。  だから僕の為にセシル君が犠牲になるのはある意味必然なのかもしれません。僕が昇ってセシル君が降りれば僕達はまた同じ場所で会える。いえ、今度は僕がセシル君を見下ろすことだって出来るのです。きっとセシル君も分かってくれる。  彼は本当に優しい人なんです。僕が今まで抱いていた惨めさも、苦しみも、理解してくれる筈なんです。少なくとも僕が知るセシル君はそういう人でした。    決意に至り、計画を実行に移すのはとても簡単なことでした。幾ら三流とはいえ芸能関係者ですから、セシル君の大まかなスケジュールは分かります。ちょうどセシル君が午後からスケジュールが空いている日があったので、その日を実行日に決めました。  その日、セシル君は午前中にラジオの収録をして、それでおしまいの日でした。ラジオというのも僕に取っては好都合でした。テレビ番組ほどスタッフが多くないのでセシル君は予想よりも早く一人になってくれました。  荷物をまとめて挨拶を終えた彼がスタジオのあるビルを出た時を狙って、僕はセシル君に駆け寄りました。  ビルが人通りの少ない道の奥にあったことも僕の味方でした。 「ああ、アナタは! 今日は取材ですか?」  その瞬間、僕の心に湧き上がった想いを簡単に説明することは出来ません。例えるならこれは良心の絶叫でした。セシル君はほんの僅かに仕事で会っていただけに過ぎない僕を、記者として覚えていてくれたのです。  そんな人を僕はこれから私利私欲の為に踏み崩そうとしているのです。僕は死んだら地獄行きだとはっきりと自覚しました。嗚呼、それほどまでの良心の叫びを聞きながら、僕は夢を諦めきれなかったのです。虚栄心が良心を喰い潰していくのを感じました。悪を暴く立派な記者になりたいと願いながら、これ以上ない罪を犯す矛盾に僕は引き裂かれそうでした。 「ごめんね……ごめんね…………」  その場で俯いてしまった僕をセシル君は不思議そうに覗き込みました。瞬間、彼自身の柔らかで高貴な香りが僕の鼻先を擽りました。それを肺一杯に吸い込んで、僕はセシル君を見つめました。  あっ、とセシル君は小さく叫んだようにも思えましたが、それが僕の空耳なのか、実際に聞こえたものなのか今でも分かりません。  願いを込めて強く命じると、セシル君の瞳は濁り、魂が抜けたようにその場に立ち竦んでしまいました。それを良いことに、僕は側に近寄って本当に久しぶりに彼の姿をじっと見ました。  改めて眺めてみると、セシル君は本当に美しい人間でした。少年とも青年とも言える、まさにサナギから脱皮しつつある不確定な美しさ。太陽に愛されている褐色の膚、森に浮かぶ湖のような碧の瞳、柔和な微笑みを湛えている唇、気品溢れる所作、すらりと高い背、今にも弾けそうなエネルギーを秘めている躰、これら全てが僕だけのものになってしまったのです。腹の底から温まるような優越感と興奮が僕の心を満たし、罪悪感の残滓が薄れて消えていくのを感じました。  さて、ニュースを作り出すならこれから命令して、適当な人間に媚びの一つでも売らせればいい話です。それが大物スポンサーだったりしたら、さぞ愉快な記事になるでしょう。ただそれだけだと揉み消されてしまう心配がありました。セシル君の事務所もそうですし、媚びを売らせる相手が大物ならば向こうの権力も働きます。  だからこそ中途半端な隠蔽など無意味なほどに、決定的な打撃を彼の人生に与える必要がありました。  その役目を担うのに僕ほど相応しい人間はいません。  僕も直接関わることで相手にする権力を事務所方面に絞るという狙いもありました。  ですがやはり、セシル君の破滅への引き金になる名誉を僕は誰にも渡したくありませんでした。 「セシル君……」  本当にこの青年が自分の物になったことを確かめたくて、僕はセシル君の項から肩、腕へと伝うように触れます。華奢なように見えて、力強いバネのような筋肉が僕の手を押し返しました。太陽に照らされて影が刻一刻と短くなっていく中で、セシル君の香りがますます強くなったかのような気がして、僕は堪らず彼の躰を抱き締めました。引き締まった堅い感触が僕の腕の脂肪に呑まれて、埋まっていく。  ただ抱いているだけの行為ですが、この瞬間、初めて僕とセシル君は一つになったかのような気がしました。  僕とセシル君の運命が漸く融け合ったのです。僕は生まれた時からこの瞬間を夢見続けていたかのような錯覚さえ覚えました。  ですが、僕がそんな優越感に浸れたのもここまででした。セシル君は突如ハッと息を呑むと、僕へと視線を向けました。淀んでいた目の焦点はピタリと合い、困惑が滲んでいます。 「アナタは何をしましたか?」  まるで全てを見透かしているように落ち着いた声は、僕の耳にすんなりと入っていきました。躰にも少し力が込められるようで、セシル君は僕の腕をゆっくりと解いていきます。 「僕……僕は…………」  言葉に詰まった僕を見て、セシル君は黙って首を振りました。あと少しで彼のしなやかな躰が腕から擦り抜けようとする時、僕は漸く正気に返って再び強くセシル君へとしがみ付きました。離さない、絶対に離すものかと必死になって呟いたことを今でも覚えています。  その時僕は幼い時に昔話で聞いた、天女の為に羽衣を掴んだ猟師のことを思い出していました。幼少期の僕は可哀想な天女を早く自由にすれば良いのにと無邪気に思っていたのですが、今になって初めて猟師の気持ちが分かりました。ずっと何の楽しみも無く生きてきた中で、やっと手に入れた救いを失いたくなかったのです。  僕は無我夢中でセシル君へ口付けました。僕を愛してくれ、そう願いながら交わした口付けは人生で最も甘美でした。……想いを一心に込めたその効果は絶大でした。  逃げ回っていた舌は次第に絡み合い、僕の腰に躊躇いがちながら腕が回されました。やや荒くなった呼吸が僕の息と混じり合って大気に溶けていきます。  口を離しても溢れた唾液が僕と彼を繋げたままでした。  その時にはもうセシル君の眼差しは変わり果てていました。先ほどまでの凜とした面影は無く、曇りガラスのように光る瞳の底には紛れもなく情欲が滲んでいます。  僕が愛していたセシル君はこれに塗りつぶされていくのかという奇妙な感慨と、目的を成し遂げた達成感が僕を満たしていました。 「場所を移そうか」  僕が声をかけるとセシル君は虚ろな目を此方に向けて、ゆっくりと頷きました。彼の美しい手を引いて、停めておいた車の助手席まで導きながら僕は感嘆の溜息を抑えることが出来ませんでした。助手席に座ったセシル君はそのまま僕を見上げると、笑顔でお礼を言ってくれました。それだけで僕は涙が溢れそうでした。今僕に向けられた好意はセシル君自身の想いなのです。僕はこの瞬間からセシル君に選ばれた存在になったのです。それは天から祝福を受けることと同義でした。  僕は震える手で運転席のドアを開けて、車内に転がり込みました。早く場所を移動しなければ、再びセシル君が正気に戻った時に僕の身が危ういということもありました。大抵の人間は僕が念じれば何の疑問も無くそれに従います。あんな風に途中で暗示が解けてしまうなんて初めてのことでした。つまり、何らかの要因でセシル君には催眠が効きにくい可能性があるのです。だからこそセシル君と僕の結びつきを強固にしていく必要がありました。  目的地に向かうまで信号で止まる度に、隣にいるセシル君を信じられない思いで眺めました。そしてその度にセシル君と目が合うのです。彼は運転をしている僕の横顔を、夢見るようにずっと眺めていました。時間に縛られる職業柄です。愛情深いセシル君は恋人の姿を僅かでも目に焼き付けて感じていたいのでしょう。  セシル君は僕の醜い外見を厭わず(そうなるように命じたのは僕ですが、ここまで効いたのは彼本来の美点と言えるのではないでしょうか)、心の最も大切な部分に僕の姿を刻んでいるかのように見えました。    そうして一時間ほど車を走らせて、連れ込んだのは山間にある小さなホテルでした。ここは裏の遊び場として有名で、秘密保持の堅牢さには目を見張るものがありました。その分値が張ることが唯一の欠点でしたが、こういう場所でないとセシル君を連れ込むにはあまりに目立ち過ぎます。フロントのスタッフにも教育は行き届いていて、僕達は殆ど言葉を発さずとも鍵を受け取ることが出来ました。  本来こういう場では僕がお金を払うべきなのですが、セシル君の持っていたクレジットカードはとても良い物でしたので、それを見せると案の定優先的にスウィートルームを回して貰えました。使える物は使うのが僕の主義でしたし、僕のちっぽけな矜持よりセシル君と僕の初体験に相応しい場を得ることの方が余程大事でした。  薄暗い廊下を歩くと次第に口内が乾いていきました。敷かれた分厚い絨毯に幾ら脚を乗せても足音が吸い込まれるばかり。無限に続くかのように長い廊下には同じ色の扉が互い違いに並んでいました。その間を擦り抜けるようにして歩きながら、これらの扉の内側には僕達のように秘密を抱え込んだ人間達が蠢いているのだと思って、何やら変な気持ちになったことをよく覚えています。  エレベーターに乗っている間、セシル君は黙って俯いていました。巻いていたマフラーを上に引き上げて口元を覆っている姿に、人目を忍んでいる普段の姿が見えた気がして、こういう姿こそ恋人だけが味わえる妙味だと思いました。  最上階に着いてから再び長い廊下を歩いて部屋に入ると、彼は待ちきれないように僕の手に口付けをして、自然に風呂場までエスコートしてくれました。  その時ふと、セシル君は男側の恋人として振る舞っているのだと気づきました。しかし、これからのことを考えるとセシル君は抱かれる側に回ってもらわなくてはなりません。  僕はセシル君相手でも男を捨てるだなんて嫌でした。  それに様々な女性を虜にしているセシル君が僕の前では雌として振る舞うようになるのです。その方がずっと特別でずっと愉快なことのように思えました。  そんなことを考えているうちにセシル君は上着を脱いでベルトに手をかけていたので、慌てて手を握ってそれを押し止めました。 「どうしたのですか? ワタシは早くアナタと愛し合いたい」  うっとりと僕を見つめる整った顔を見ながら、僕は手を打たないとセシル君にペースを握られることを察しました。セシル君の腰を抱き寄せると、彼は僕の頭を愛おしげに撫でます。ベルトを引き抜いてあげると同時に、セシル君の腕が僕の上着の中に潜り込みました。  そのまま器用に僕の上着を脱がせると、セシル君は僕の顎に手を当てて自分の方を向かせました。そして情熱的なキスが僕に降り注いだのです。口蓋を自在に這う舌の存在を感じながら、僕は向けられる愛の大きさにめまいがしそうでした。幾度も交わされるキスの合間を縫って、僕は途切れ途切れにベッドに行きたいと告げました。 「えっ、シャワーも浴びずにですか?」 「セシル君は早く愛し合いたいんだよね? じゃあ一々こんなお上品にシャワーなんか浴びなくていいんじゃないかな」 「でもワタシはさっきまで仕事でした。汚れているかもしれません……」 「それがいいんだよ。ね、ほら早く行こう」  そう言うと僕はバスローブだけをぞんざいに羽織って、下着姿のセシル君を引き摺っていきました。セシル君は首を捻りながらも歩いてくれて、その素直さに僕は若さを感じていました。  僕達二人が横になっても尚余り有るだろうキングサイズのベッドに腰掛けると、セシル君は僕の前に膝をつきました。それはまるで高貴な貴族が忠誠を誓ってくれているかのようで、その一所作でホテルの一室がより豪奢に見えました。  彼の手が僕のバスローブの前を開けると、既に限界寸前まで兆している下半身が露わになります。正直な話、僕は彼が動く度に漂う高貴な香りを吸い込むだけで発情していたのです。まるで僕を誘う為のフェロモンなのではないかと思いました。 「そのままキスして、奥まで咥え込んでみて……」  そう命じた瞬間、セシル君の目に一瞬光が戻ったのが見えました。 「ん……? これは、何……何故ワタシは……?」  慌てて僕はセシル君の顔に手を這わせると、強引に僕の方を向かせました。 「なんで戸惑ってるの? 僕達は恋人同士だよ? フェラするのも当たり前だよね?」 「それは……そうですが………」 「僕のことが好きなんでしょ? 愛してるんだよね、セシル君は僕のことが大好きなんだよ。心から愛している。分かるね」 「ワタシが……アナタを…………」  僕が必死になって言い聞かせた甲斐があり、セシル君の瞳は再び古いガラス玉のように濁っていきました。  それから恐る恐るといった具合に彼の唇から赤い舌が零れ落ち、僕の亀頭に触れました。敏感な箇所に走る最初の刺激に僕は深く息を吐き、呼吸を整えました。  セシル君は何度も僕の垢だらけの亀頭に口付けて、丁寧に舐め上げていきました。やはり男同士での行為は初めてだったのか、その愛撫はとても稚拙で初々しいものでしたが、セシル君からそういう行為をされているという事実がどれほど僕に幸福感をもたらしたでしょう。  歌を紡ぐ為の唇が僕の最も汚い場所に触れていることへの背徳感と優越感は堪らないものがありました。  次第に限界へと近づき、僕は必死で衝動を堪えながらもういいと叫んだ気がします。ですが、嗚呼、セシル君は不慣れながらも僕の亀頭を飲み込んで愛の証を自ら受け止めてくれたのです。頭の片隅まで痺れるような快感の中で僕の精液を飲み込むセシル君の姿だけが鮮明でした。しかし初めて飲み込むのはやはり大変だったと見えて、唇の端から飲み込めなかった余りを零しながら、セシル君は僕を蠱惑的な眼差しで見つめました。紅を塗るような優美な手付きで唇を拭うと、浅黒い指先で白濁がナメクジのように光りました。それをセシル君は躊躇うことなく口に咥え、丁寧に飲み下していくのでした。  その淫靡さは普段の彼と全く違う趣で、誰にも見せない閨のセシル君を象徴しているようでした。僕はその光景に圧倒されながら、ただ荒い息を零しました。  セシル君は喉に絡みついた精液を払うように小さく咳をすると、再び僕をその瞳に映しました。彼の瞳はますます濁りを増し、水底のような深い色に変わっていました。光の加減によって微妙に色が変わる希少な瞳だと、昔インタビューで聞いたことを僕はぼんやりと思い出していました。 「どうでした? ワタシ、上手く出来ましたか?」  いつまでも呆然としている僕に、もどかしげにセシル君は問いかけました。僕は正気に返って、返事の代わりに彼の頭を撫でました。よく整えられた指通りの良い髪が僕の手を包み、形の良い骨の感触がそこにはありました。僕が頭を撫でている間、セシル君は目を閉じてその交流を記憶に刻み込もうとしているように見えました。  彼はこうやって自らの全てで相手を愛するのだなと思えて、僕はその健気さにより愛おしさを募らせました。  今まで他人とは性行為もしてきましたが、ここまで深い愛で満たされたのはセシル君に対してだけでした。  セシル君の手を取ってベッドの上に引き上げると、そのまま彼の躰を横たえました。僕は漸くその端正な肢体を眼下に入れて眺めることが出来たのでした。  これまで取材の関係で何度かセシル君の躰を視界に入れることはありましたが、こうしてじっくりと眺めるのは初めてでした。すらりとした長い手足、小さい顔、寸分の狂いも無く鍛えられ磨かれているそれはパフォーマンスただ一つの為にありました。これを僕がどう変えてしまうのか考えただけで名残惜しく、手を出せないでいるとセシル君は薄目を開きました。  聡い彼は僕の怯えるような気持ちを察したのでしょう。  綻ぶような微笑を浮かべると、触れるように軽いキスをしてくれました。こんな時でも背中を押してくれる慈悲深さに勇気づけられて、僕はセシル君の躰に手を伸ばしました。  お返しのようにキスをして、掌で彼の全身を感じていきます。布越しでは分からなかった肌理細かい膚の感触が、僕に幸福をもたらしました。 「綺麗だ……」 「ありがとうございます」  僕が思わず洩らした一言に、セシル君ははにかんだように笑いながら答えました。その反応に僕は若干の羞恥を感じましたが、それでも僕は、綺麗だ、綺麗だと繰り返さずにはいられませんでした。見れば見るほど僕と同じ男だとはっきりと分かるのですが、それでもセシル君はとても美しいのです。そのままセシル君と舌を絡め合うと、口内に残っていた僕の精液の苦みを感じました。  とても青臭いそれは僅かな残滓でも耐え難い味で、それを口一杯に含んで飲み干したセシル君を思うと僕はつくづく愛されていると感じずにはいられませんでした。  幾度もキスを交わしながらセシル君の下着に手を滑り込ませると、僅かに芯を持った物がありました。  これが――と思うと心臓が縮み上がりそうで、セシル君はやっぱり男なのだという再度の実感と、遂に一線を超えるのだという事実に僕は腹の底からぞくぞくするような興奮を得ていました。  下着を膝まで下ろしてやると、まだ半勃ちであるのに僕のよりも随分立派な物が姿を現しました。男への愛撫のやり方なんて知る由もないので、一先ず自分でやっているように丁寧に扱いてあげると、セシル君は僅かに呻いて手の中にある物の堅さも少しずつですが増していきました。  セシル君は逃れるように腰を揺らしましたが、そんな愛らしい反応をされてみすみす見逃す男などいません。  より深くキスを交えながら裏筋を中心に丁寧に撫で上げていきました。そうしているうちに僕の物も再び反応してしまっており、目敏いセシル君は空いている手を伸ばして僕の物も力強く擦り上げました。意表を突かれた僕も思わず腰が引けてしまいそうになりましたが、ここで負ける訳にはいきません。ですが幾ら扱いてもセシル君の陰茎は堅くこそなれ、そう簡単に射精には至りませんでした。そうしている間にも僕の限界は再び近づいており、同じ男だからこそ分かるのでしょう、セシル君は魅力的な唇をつり上げて更に攻めを激しくしてくるのです。眼前三センチにある彼の瞳と目を合わせた瞬間、僕は堪らず射精しました。  飛び散った精液は褐色の膚の上に軌跡を描きました。  セシル君はそれを見て誇らしげに笑うと僕に抱きついて、頬にキスをしてくれました。僕と言えば後半はセシル君の陰茎を握っているのが精一杯で、彼を絶頂に至らしめることは出来ませんでした。  ある程度時間が置かれたアドバンテージもあったというのに、セシル君より随分と早かったという事実は僕として中々思う所がありましたが、それでも相手を満足させた喜びに浸るセシル君の姿は愛らしいものでしたので今回は深く考えないことにしました。 「気持ちよかったですか?」 「ああ、それはもう……。次はセシル君の番じゃないか?」  そう声をかけて手を伸ばそうとすると、セシル君は笑って首を振りました。 「アナタさえ良ければワタシはそれでいいのです。そうしないとワタシはまたアナタを愛してしまいそうで」  セシル君は若干言葉を濁して、僕の体力を案じてくれました。正直僕の余力はあまり残ってはいませんでしたし、セシル君との結びつきを強化するという目的は達成されたようにも思えました。どうせこれ一度きりで終わる逢瀬ではないのです。僕の集中が途切れてセシル君が正気に戻ってしまう危険も考えると無理は禁物でした。 「セシル君が良いならいいけどね。次は僕からも愛させておくれよ」  綺麗な髪を撫でながら、僕がそう声を掛けるとセシル君は小さく頷きました。既に窓の外では日が落ちていて、山際にポツポツと町の灯りが見えています。  そんな寂しい風景を眺めながら腕の中の温かさを感じていると、まるで世界に二人きりで取り残されてしまったかのようで、僕は長く息を吐きました。 「僕が電話をしたらすぐに来るんだよ。仕事の時は仕方ないけど、それ以外ならどんな時でも優先してね」  鳥の声も聞こえない静寂の中で言い聞かせた言葉に、セシル君は僕にピタリと身を寄せて答えました。
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