カーテンコール・スクラップ

序章

 万雷の喝采が会場を揺らす。会場一杯に詰めかけた観客が声援を送るのはただ一人、愛島セシルに向けてだ。  銀テープが舞い、光の渦が巻き起こる中で、セシルは深々と礼をした。歓喜の悲鳴があがる。この場にいる誰もが彼を愛していた。  ――この男もそうだ。器材室にいるその男は唇の端を歪めてコンピューターを操作していた。性根の歪みが透けて見える顔、肥え太った躰、脂ぎった髪、長い爪、どれを取っても異様且つ醜いその男も、多分に洩れず愛島セシルに魅了され、彼を愛している一人だった。ライブは既に終盤に差し掛かり、アンコールを求める声が響く。仕事を終えた男は立ち上がるとステージ裏へと移動した。  男がたどり着いた時、既にセシルは水分補給と衣装替えを終えて、ステージに戻る準備を済ませていた。  その隣には一人の少女の姿が見える。男はその光景を気づかれることなく存分に眺めた。二人の間で繫がれる手も、何よりも雄弁な眼差しが絡み合う様も、愛の言葉を紡いでいく唇も。 「アナタのことを世界で一番愛しています。誰よりも、何よりも」 「わたしもです。いってらっしゃい、セシルさん」  そう囁き合うと、セシルは春歌に小さく手を振ってステージへ駆けていった。再び喝采が彼を包む。揺れる衣装の裾、眩い笑顔、その唇から紡がれる愛の歌、それら一つ一つに全ての人間が惚れ込んでいた。スポットライトが照らす中で、セシルは手を振りながら花道を歩む。  歓声にも負けないその響きは会場を満たしていった。ステージにあるモニターが彼の綻ぶ顔を映し出す。まさに夢のような時。曲は最後のサビに差し掛かり、セシルは深く息を吸い込んだ。 『うわぁあああ゙♡ あ゙っ、あ♡ そこです、ダメッ!』  その時、夢は終わりを告げた。  突然流れ始めた音声にセシルが振り向くと、ステージ上のスクリーンの映像が切り替わっているのが見えた。  その内容に、思わずセシルの歌声は止まった。満ちていた歓声も、揺れ動く光の波も潮が引くように消え失せていく。    褐色のしなやかな脚が男の裸体に絡む。スクリーンに映っていたのは、接合部を見せつけるように男同士が交わる映像だった。片方は不健康な生白い膚をした男で、肥えた体でのしかかり、弛んだ尻を振りながら下にいる男を犯していた。犯されている褐色の膚をした男は長い脚を上の男に絡ませ、導くように腰を動かして、聞くに堪えない嬌声を垂れ流している。  接合部を映している関係で二人とも顔は見えなかったが、少なくとも下にいる男が誰なのか、その場にいる全員がはっきりと理解した。 「何ですか………これ…………?」  呆然とするセシルがそう呟くと同時に、映像の二人が身を起こす。肥えた男は黒い頭巾を目深に被り、顔は見えない。  だが、もう片方の男が誰かは明白だ。整った顔立ち、唯一無二の瞳の色、胸に刻まれているタトゥー、そこで犯されていたのは愛島セシルだった。  セシルの顔が写った瞬間、客からは小さな響めきが起こる。だが、そこにセシルが写っている意味を真に理解している人間はまだ極一握りだった。 『ステージにいるワタシ、そしてファンの皆様、見ていますか? 今日は皆様に大切なお知らせがあります』  映像のセシルが小さく手を振る。その瞳は虚ろで、手を動かす度に結合部から白濁が洩れていた。腰を動かす度に陰茎が無様に揺れている。それは明らかに自らで勃つ力を失っていた。乳首はチェーン型のピアスで貫かれており、安い金属音を絶え間なく鳴らす。乳輪から膨れ上がった有様は普段とは明らかに異なっていた。セシルは腰を揺らしたまま床に手を突き、深々と土下座する。  ずるりと音を立てて男の陰茎が抜け、その感覚にさえ彼は身を震わせた。 『ごめんなさいっ! ワタシは今日でアイドルをやめます。理由は、結婚を決めたからです。今まで応援ありがとうございました。そのおかげで皆様よりずっと、ずっと愛せるものが出来ました!』  そう叫んでセシルは身を起こすと、剥き出しになっている男の陰茎に愛しげに顔を擦り付けた。残っていた精液が顔に付着することも構わず、寧ろそれを誇りに思うように丁寧に舐めていく。 『愛しているのです。この方の〝これ〟を。何よりも』  そう言って笑うセシルの表情は狂気染みていた。そのままセシルは膝をつき、男の頭巾を捲って現れた分厚い唇に口付ける。腰を動かし、再び深々と陰茎を挿入した。  慣らしている様子も無いが、開ききった後孔は易々と男の長大な陰茎を飲み込んだ。 『ああぁああん♡♡♡ これです! もうこれナシで生きていけないい゙い゙っ♡ この方はぁ、ワタシにこの崇高な行為を教えてくれたんですっ! バカなワタシは最初この素晴らしさが分からなかった! でも今はああぁあっ違いま、すっ! もうこの方の居ない人生なんて考えられないんですっ♡』  セシルの嬌声は、普段の気品や愛嬌などを微塵も感じさせない下品で淫蕩なものだった。変わり果てたその様子は、セシルが心から性具に成り下がることを願ったのだと映像を見ている人間全てに感じさせた。ドーム一杯に詰めかけた客とセシルは水を打ったように静まりかえり、その醜悪な情景を眺めた。先ほどまでの歓声に満ちた情景が嘘のように、歌う者がいなくなったインストとセシルの嬌声だけが入り交じる。映像を眺めるセシルの表情からは瞬く間に血の気が失われていった。  漸く客の間からも声が洩れ始める。映像とステージのセシルを見比べる彼等の目は驚愕と懐疑、絶望に包まれ始めていた。 「演出……?」「まさか」「……こんなの嘘だよ」「引退?」 「あれって枕?」「本当にあるんだ」 「まさかセシル君が……信じてたのに……」  会場には啜り泣く声と、次第に事態を実感していく囁きが波のように広がっていく。その時、ステージに立ち尽くしていたセシルに、黄緑のサイリウムが投げられた。  セシルの右手にぶつかったそれは軽い音を立てて床へ落ちる。セシルが視線を向けると、瞳を憎悪に満たした少女が彼を睨んだ。 「最低ッ!」  それが引き金だった。先ほどまでセシルを包んでいた光の渦が次々とステージに落ちていく。存在を否定し、罵る言葉と共に落ちる光は皮肉にも流星群のように美しかった。セシルは思わず口を開き掛けて閉ざす。そのまま彼は何も抵抗しなかった。サイリウムがぶつかり、セシルの唇が切れて血が流れる。幾人かの客がやめてよと叫んでいたが、圧倒的な怒号に掻き消されていた。  その時になって漸く流れたままの音楽と醜悪な映像が止まった。会場の灯りが一斉に点され、現れたスタッフ達が佇むセシルを引き摺っていく。後には客の悲痛な声ばかりが残った。  嘆きと悲しみに包まれるその空間で、一人笑っている男がいた。可笑しくてたまらないと言いたげに、肥えた腹を抱えてその男は笑う。男は自分の仕掛けが作動する様を舞台裏から眺めていたのだ。誰よりも幸せなその男はいつまでも笑い続けていた。
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