混沌に沈む

 隙間風が鋭く膚を刺す。セシルは思わず身を震わせた。彼のそんな様子に気付いたスタッフがストーブ前にある椅子から退く。勧められるままにセシルは椅子に腰掛けたが、かなり古いそのストーブから得られる温もりは高が知れていた。  ある映画で準主役に抜擢されたセシルがその撮影所に到着したのは三日前のことだ。撮影所は雪に包まれた山地にあり、その土地自体も寂れた寒村以外は特筆する所も無い田舎だった。  だからという訳でもないが、設備はやはり事務所直営の場所と比べて大きく劣っていた。スタジオや野外を問わず機材トラブルでの待ちが多く、僅かな暖を取りながら台本を捲ることもしばしばだった。  今日もまた周囲を取り巻く冷気に凍えている。せめてもの抵抗としてセシルは手足を撫で摩っていた。気を抜けば歯の根が合わなくなる環境で、とても本調子と言える状態ではない。  撮影ではほぼスタントなしのアクションが続くが、長い待機中に冷気で躰が強ばってしまい躰を痛めてしまうことも稀ではなかった。予算が少ないとはいえ、最低限の暖房すらない過酷さにセシルは溜め息を吐く。あと一シーンの撮影さえ終えれば暖かなホテルに戻れると、彼は己を鼓舞していた。 「セシル君! 待たせてごめん、今日も寒いな」 「お疲れ様です。本当に寒いですね」  セシルに声を掛けたのはプロデューサーの男だ。セシルはすぐに立ち上がり頭を下げたが、彼はこの男と接する度にぼんやりとした不快を感じていた。頭を上げたセシルの首に男の太い腕が回る。唐突に肩を組まれて、セシルはふらつきながらやや背の低い男の方へと顔を寄せた。  歯を磨いているのか疑問に思うような口臭が鼻腔に入った瞬間、セシルはすぐさま男の腕を振りほどいた。 「やめてください、苦しい」 「ああ、ごめんごめん。寒くてさぁ、人肌が恋しくなるんだ」 「はぁ……」  悪びれた様子もなく笑う男に、セシルは表情を引き攣らせる他なかった。この男は会う度にやたらと肩を組みたがる癖があり、セシルはその距離感に困惑させられることが常だった。立ち上がってストーブから離れたことで、より強い寒気が襲いセシルは再び身を震わせる。  プロデューサーが近寄ってきたということは今回の機材トラブルも収まったのだろう。準備を整えるセシルを、男は自身の顎に手を添えて眺めていた。 「どうしました?」 「う~ん、違ったら悪いね。セシル君体調悪いだろ?」 「……ええ、少し。申し訳ありません」  まさかこの男に気付かれるとは思っていなかったこともあり、セシルは僅かに動揺を見せた。他人から気付かれるということは、セシル自身の予想以上に体調は悪いのかもしれない。  そう考え始めると男の顔を正面から見ることが出来なくなってしまった。体調管理も仕事の一部であることは徹底的に教え込まれている。ましてや限られた期間内で体調を崩すことが赦される筈もない。 「今はまだ撮影にそこまで影響してないからいいけどさ。大事を取って今日はもう終わろう。明日はセシル君の撮影午後からだったな」 「はい。迷惑をかけてしまってすみません。それまでには必ず治します」  プロデューサーは眉間に皺を寄せたセシルを見て、ふと表情を緩めた。   「そんなに思い詰めた顔するな。この辺りは寒暖差で体調崩す奴が多いし、俺達も慣れてるよ。そうだ、セシル君。念のため今から病院に行かないか?」 「いえ、大丈夫です。薬なら一通り持っていますから。それにワタシが行けば様々な人を驚かせてしまいます」 「大丈夫だ。小規模だけどちゃんと芸能関係者専門の病院さ。紹介してやるからそこに行こう。付き添うよ」 「いいのですか? 本当にありがとうございます。……助かります」  少し言葉を発しただけでも喉が痛む気がする。これ以上放置すれば悪化するのは明白だった。  共に周囲への謝罪と挨拶を済ませると、車を回してくると男は立ち去った。セシルは歩きながらストールを巻き直す。貧弱なストーブから離れると、より染みるような冷気が辺りを包んだ。白く変わった息を吐きながら、指定された裏口で待っているとすぐに漆黒の高級車が見えた。この土地に似合わない派手な車は、案の定男の物だった。  乗りなよ、と開けられた助手席にセシルが腰を下ろすと、喧しいエンジン音を立てながら車は動き始めた。   「ここでは体調崩すタレントが多くてね。もう色んな人間を何度も連れて行ってるから安心しなよ」  セシルは頷きながら深く息を吐いた。運転する男の横顔は穏やかなもので、状況に慣れていると感じさせられる。男の言葉に嘘はないのだろう。そうやって周囲を気遣える一面もあるのだと知らなかった。これからは彼に対する認識を少し改めなければならないとセシルはやや強い暖房を浴びながら内省していた。  それから十五分もしないうちに、男の言う病院に辿り着いた。芸能関係者専門の病院なだけあって周囲に民家などはなかった。目撃される心配はないらしい。建物はかなり古いものだ。黄ばんだ壁がやけに目に付く。セシル達の他に誰もおらず、セシルは男が案内するままに奥へと導かれた。 「受付は……」 「話は通してある。患者は俺ら以外いないしね」  薄暗い屋内に設けられた受付にも人の姿はなかった。「診察室」と書かれた札が下げられた部屋だけが、不自然なほど明るく見えた。  入室すると白衣を着た初老の医者が何か書類を書いていた。 「連れてきた」 「……ああ、こんにちは」  医者は頭を上げた時にセシルの顔を見て僅かに眼を見開いたが、それ以上の反応を見せることはなかった。診察自体は問診を済ませて軽く聴診器を当てる程度の簡単なものだった。 「軽い風邪でしょう。薬を幾つか出しておきます」 「ありがとうございます。お願いします」 セシルの言葉に医者は二三度頷くと立ち上がり、戸棚から何か薬品を取り出し始めた。病院に薬局が併設されていないのでここで薬を受け取るのかと、セシルは座ったままその様子を眺める。 「愛島さん。折角のご紹介で来たのですから栄養剤の注射でもしていきませんか?」 「栄養剤ですか?」 「ええ、風邪の引き始めにはこれが一番効くんですよ。それほど高い物でもありませんから」 「そんなものがあるのですね」  以前同期の一人から健康に良いというニンニク注射の話を聞いたことがあったが、そのような類いだろうかとセシルは首を傾げていた。その様子を見た男も隣で身を乗り出す。 「いいじゃないか、受けなよ。これで本当に治った奴は多いんだ」  彼の言葉にも背中を押され、セシルは深く頷いた。最優先すべきは体調の回復なのは分かり切っている。特に断る理由もなかった。 「それでは、お願いします」 「分かりました。では袖を捲って腕を出してください」 「はい」  セシルは着ているコート類を脱ぎ、セーターとシャツの袖を引き上げた。露わになった腕に注射針が刺さる。一瞬だけ痛みはあったが数秒もせずに終わった。 「念のため三十分ほどここで休んで頂いて、何も異常がなければ大丈夫ですよ」 「お気遣いイタミいります。ありがとうございます」  医者は、では三十分後にと言い残すと、扉を開けて出ていった。男もセシルが持っていたコート類を取り上げると立ち上がる。 「これは俺が預かるよ。そこにベッドあるし、せっかくだからセシル君はちょっと寝たら? 俺はあいつと喋ってるからさ」 「そうですか? ありがとうございます。ではお言葉に甘えます……」  男が部屋を出た後、セシルは傍らの簡易ベッドに横になった。掛け布団もない診察用のベッドであった為、そのまま眠るには少し肌寒さを感じた。セシルはコートを布団の代わりにしようと手を伸ばして、男が全て持っていってしまっていたことを思い出した。声を掛けに行こうかとも思ったが、旧知の仲であろう医者と話しているのを邪魔をするのも憚られて、セシルはそのまま微睡んだ。  幸いにもそれからすぐに全身が温まるような感覚が広がっていった。注射の効能だろうと思い、セシルはその感覚に身を委ね続けた。寒さは瞬く間にどこかに行ってしまった。  恐らく男はこうなることが分かっていて上着を持ってくれたのだろう。無理に彼の邪魔をしなくて良かったとセシルは考えていた。だが、その熱は留まる所を知らずに上昇し始めた。温泉にでも入っているような心地よさを感じることが出来たのは僅か数分のことだ。 「はぁ……っ」  発熱しているのとは全く違う熱さが全身を巡る。頭痛や怠さなどは感じなかったが、全身が汗ばみ、セシルは何度も寝返りをうった。熱には強い方であるという自覚はあったが、内側から焼けるようなこんな熱を殆ど感じたことはない。苦しみにも似た感覚に耐える為に己を抱き締めるだけで全身が震えた。次第に息が乱れていく。  最もこの感覚に近いことを思い浮かべて、セシルは思わず首を振る。彼が何より困惑していたのは、その熱が次第に特定の部位へ集中しつつあることだった。  確かに連日の撮影でそういうことを行う暇は殆どなかった。注射による発汗作用で蓋をしていた欲望が現れたのかもしれない。だが、純粋な好意で行われたことでこのような欲を露呈することに対してセシルは罪悪感を抱かずにはいられなかった。時計を見るとまだ十分も経っていない。彼等が戻ってくる前に解決しなければいけないという焦りがセシルを追い立てていた。  手洗いに行って個室で熱を処理するしかないというのが彼が出した結論だった。起き上がるだけで躰がふらつく。腰を引き摺るようにして歩いて、セシルは扉に手をかけた。 「なぜっ……!?」  扉は施錠されており、何度引いてもガタガタと揺れるだけだった。内側から開けられるような鍵も付いていない。他に外に出る所も、窓すらこの部屋にはないことに気付いた。セシルは診察室に閉じ込められていた。更に全身から汗が噴き出す。恐らく間違えて施錠されたのだろうが、あまりにもタイミングが悪い。再び時計を見ると男達が戻ってくるまであと十五分ほどだった。未だに熱は落ち着くということもなく、寧ろ呼吸は荒れて、熱さは増す一方だった。十五分という短い時間で自然と収まるような状態とは到底思えない。  セシルはベッドに倒れ込むように腰掛けた。躰の重みでベッドが軋む音さえ、官能的に響いてセシルは熱い息を溢す。この状況下においてコートや布団といった全身を覆えるようなものが何一つないのが、これ以上ないほど悔やまれた。男達に熱に浮かされた状態を晒す羞恥と、隠れて処理をする羞恥を、回らなくなりつつある頭で比較する。ギリギリまで悩んだ末に選んだのは後者だった。持っていたポケットティッシュを取り出し、セシルはベルトに手をかけた。  チャックを下ろして恐る恐る熱に触れると確かな手応えを感じる。頬が染まった。甘い吐息に合わせて腰が揺れ、空いた手がシーツを掴んで皺を寄せる。完全なプライベート空間ではないという認識はその行為を慎ましやかなものにし、焼け付くようなもどかしさと痺れるような背徳感を無意識のうちに与えていく。 「はぁ……ぁ……あっ……」  それでもセシル自身の指先は自然と快楽を追い求め始めた。思考が白むような悦さが襲う度に背が大きく反る。激しく息を吐く唇からは赤い舌が覗き、唾液を溢した。早く達しなければという焦りとそのような行為に及んでいる羞恥がせめぎ合い、先端を擦る動きが乱れる。普段とは違うペースで与えられる感覚で、熱は解消されるどころかますます悪化の一途を辿った。だがそれに気づけるような理性はセシルに殆ど残っていなかった。  滑った水音が響き、漸くセシルは絶頂に至る。そのまま放心していたいと叫ぶ本能を抑えて、セシルはティッシュを握る。新しいティッシュで使用したそれを何重にも包み、鞄の奥底に隠そうとしたが、鞄すらもプロデューサーの男が持って行っていることに気付いた。仕方なくポケットへと異臭を放つそれを入れたが、その行為には深い後悔と罪悪感を伴った。備え付けのゴミ箱へと押し込むこともセシルの脳裏を過ったが、あまりにも最低な置き土産を残すことに彼の良心は耐えられなかった。  しかし、そんなことを考える余裕もすぐに失われていく。一度処理をすれば収まるかと思われた熱さは再び身を起こしていた。 「……何故っ、……こんな…………」  もうこれ以上自慰に耽る時間は無い。セシルが服装をなんとか整えたと同時に医者がドアを開けた。 「すみませんね。鍵を掛けてしまっていたようで……」  そう言いながら医者は小さく鼻を鳴らした。息を吸うその音だけでも、残り香の存在を示されたような気がしてセシルは身を縮める。医者はその様子を見ると僅かに目を細めた。   「そう気にしないでください。言い忘れてたんですが、躰が温まるのでそういう気分になってしまう方もいるんですよ」 「えっ……」  セシルが弾かれたように顔を上げると、哀れむような視線にぶつかる。医者は態度にこそ出さないものの、その視線には欲に呑まれた人間に対する見下しが明らかに含まれていた。  焦りで落ち着いていた羞恥が先ほど以上の苛烈さを伴ってセシルの心に蘇る。頬の熱がより強く感じられ、その感覚でさえもいたたまれなさと罪悪感を強く抱かせた。 「副作用みたいなものですよ。愛島さんはお若いですし、ねぇ」 「すみません。……ですがそういうことは事前に言ってください。分かっていれば……こんなことは…………」 「分かっていれば、ですか。ところで愛島さん、まだ色々と収まっていないようですが、大丈夫ですか?」 「なっ……!? ……いえ、大丈夫です。今日はもう帰ります」 「そのままだと帰れないでしょう。良ければ僕が手伝いましょうか」  医者が隣に腰掛けると、ベッドが二人分の重みで軋んだ。その手は事も無げに下半身へと伸びており、セシルは動揺で目を見開いた。すぐに立ち上がらなければという意識が曖昧に浮上したが、薬効に蝕まれている躰はそう簡単に動かず、身じろぎをするので精一杯だった。そのまま医者の手はセシルを通り過ぎると、ベッドに転がっていたティッシュペーパーを摘まみ上げる。 「えっ、それは!」 「隣に座った時に丁度ポケットから落ちていましたよ。気を遣わずにきちんとゴミ箱に捨てていってください。しかし……若いっていいですねぇ」  その時、医者の顔に浮かんでいたのは先ほどよりもずっと顕著な嘲笑だった。指に摘まんだティッシュを鼻先に突き出されると自身の臭いが強く感じられ、セシルは惨めさと羞恥に思わず俯く。 「ねぇ、本当に大丈夫ですか?」 「いい加減にしてください。……これ以上迷惑をかけたくないので帰ります」  自身の落ち度を差し引いてもあまりに悪質な仕打ちに、セシルは不快感を隠すことをやめていた。そのまま立ち上がろうとした時もセシルは眉間に皺を寄せたままだった。だが、医者がその腕を強く掴むと躰は弾かれたように震える。 「おや、痛いんですか?」 「いいえ。……もう触れないでください」  セシルが腕を振りほどこうとするのを、医者は簡単に押さえ込んだ。時間が経つにつれて躰に全く力が入らなくなっている。既に今のセシルはこの不健康そうな医者に圧されてしまうほど弱っていた。 「打ち身でもあるんですか? ここは治療しておかなくても大丈夫でしょうか?」 「ワタシの話を聞いて! 本当に大丈夫ですからっ、離してください!」 「いいから落ち着いて。ほら、座ってください。僕の言うことだけを聞いて」  袖を捲りながら耳元でブツブツと囁かれるだけで全身の膚が粟立つような気がした。患部を強く押されて怯んだところで腕を引かれて、セシルはより深くベッドに沈み込む。 「しかし、この部屋は寒いですね すみません。セシルさんも辛かったのではないですか」  医者が暖房を強め、熱風がセシルを囲んで渦巻く。ただでさえ熱を引き摺っている躰は、より強く熱に囚われていった。大丈夫、大丈夫と言い続ける医者が背中を擦り、それだけの行為に感じるはずのない心地よさを見出してしまう。理性が振りほどくべきだと警鐘を慣らす。だがそれに応じる力はもうセシルに残されていなかった。  全身が高熱を出した時のように怠くて動かすことが出来ない。そうしている間にも医者はセシルの腕を取り、打ち身の場所に薬を塗り込んでいる。 「ほらやっぱり。他にも打った所があるんじゃないですか? 随分酷い撮影だったんでしょう」  医者がそう声を掛ける時には、セシルの瞳からは光が消え失せ、ただ頷くだけの状態になっていた。それは医者がセーターの下に手を這わせても変わらない。医者は袖を引き、セシルはそのままシャツ一枚にされた。  シャツの薄い布に透けて見える膚には青黒い痣が幾つも浮かんでおり、医者は僅かに顔を顰めた。女の膚に触れるかのような手付きで患部にも、そうではない箇所にも触れていくとセシルはわずかに身じろぎをした。深く息を吐きながら、眉を寄せたセシルは掠れた声で、熱いと訴えた。 「あと少しだ。薬が効いて血流が良くなっているんだよ。大丈夫だからね……」  医者が耳元で囁く内容をセシルが理解出来ているかは怪しいところだった。医者の手には注射針が握られており、セシルの首筋に深く差し込むと薬液を注入していく。  薬の効果は抜群だった。セシルからは正気が完全に喪われており、手を這わされて嬌声を洩らす以外に出来ることはない。濁った瞳には何も映っていなかった。 「は……ぁ……ああっ……あ…………♡」  シャツのボタンを外される感触でさえセシルにとって快感となった。布が熱い膚を滑るだけで背筋が震える。その伸びやかな膚を開拓するように医者はそっと触れ続けていた。汗が浮かび、蛍光灯を照り返す褐色の膚は若さに溢れ、医者の手に接吻するように吸い付く。そのまま手を滑らせるとまだ拙い喘ぎが漏れていく。快楽に慣れきっていない響きは相手を更に煽った。 「本当にタトゥーがある、本物だ……本物のセシル君なんだ。…………やっと……やっとだ。僕がどれほど君に会いたかったか…………」  医者は敢えて一般的な性感帯には触れずに、脇腹や鳩尾、鎖骨、首といった箇所を中心に撫でていた。そうすることで更に鼓動を早め、セシルの無意識的な期待や焦燥感を高ぶらせる。  理性を剥ぎ取られたセシルは本能のままに何度も己の体に手を伸ばそうとしていたが、医者がそれを許すことはなく、セシルはただ高まっていく熱に翻弄され続けていた。 「また随分なご執心だ。その癖は治りそうもねえな」  扉が開き、プロデューサーの男が入ってくる。医者は僅かに眉を寄せた。 「失礼だなぁ。この子は本当にいい子だからだよ。分からないのか」 「分かんねえよ」  男は苦笑しながら、ベッドの端に腰掛けた。医者が獲物に執着心を抱き、その後見向きもしなくなるのを彼は数え切れないほど見てきた。今回の獲物であるセシルに対してもそうで、医者は数ヶ月も前から自室をセシルのグッズやポスターで埋め尽くしていたが、それはさして遠くない未来でゴミとして処理されるに決まっていた。 「ところでもう大丈夫なんだろうな」 「ああ、やっと薬が完全に効いた。もう何をされても分からんだろうよ。しかしまさか本当に愛島セシルを連れてくるなんてな」 「俺も前から気になってたんだよ。でもまぁ、事務所の力でちやほや守られやがって、体調崩させるのも一苦労さ」 「君本当にこの子へ酷い扱いをしたんだな。全身があちこち殴られたみたいになってるじゃないか。こういうのは趣味じゃない」 「分かってる。もう目的は達成したし明日から少しは優しくしてやるよ……」  男はそう呟きながら、セシルの全身を眺めた。上半身の服はほぼ取り払われ、胸を大きく上下させながら呼吸する様は淫らだ。瞳に正気の輝きは無く、湖の底のように濁っている。彼は本当に自身が何をされているのか理解していないようだった。 「ここもまあキツそうで可哀想に」 「はっ……あ…………い、や」  固く張り詰めている箇所を指先でつつくだけでセシルは熱い息を溢す。それでも朦朧とする意識の中でも思う所はあるのか、腰を逃そうとセシルは緩慢に動いていた。そんな微かな抵抗も男達に簡単に押さえ込まれ、一笑に付される。 「健気だねぇ。でもあんなチマチマしたオナニーじゃ何も解消出来てないでしょ」 「上流のお育ちだからな。全く、カメラで見てる俺達の方がもどかしかった」 「やめてっ……んんっ♡ あっ、あ! 触らないで……っ……!」  ベルトを外されながらも僅かに残った理性でセシルは男達を拒んでいたが、その訴えを聞く人間は誰もいなかった。スラックスを下着ごと足首まで下ろされると、セシルは羞恥で頬を染めた。だが息は更に荒れて、理性とかけ離れた本能は期待するように腰を自然と浮かせている。焦らされた情欲は薬で弱らされた理性を簡単に振り切った。 「こりゃまた結構なご立派様だな」 「流石外人さんだよ。もう使う必要もなくなるだろうけど」 「せっかくだから、まずは一回イかせてやるか」 「あっ、あ゙ああぁああ……っ!」  男がセシルの陰茎へ手を這わせると、悲鳴に近い喘ぎ声が部屋に満ちた。唐突に満たされた欲望に耐えられないようだった。その様を笑いながら粗雑に手を動かし続けると、数分もしないうちに白濁が散る。 「一回抜いてこの勢いとはこりゃ相当我慢してたな。顔の割に性欲強いのか?」  下劣な煽りを理解することさえ出来ず、セシルは快感の余韻に浸って呆然としていた。溢れた精液が褐色の膚へ付着している。医者はポケットからティッシュを取り出すと、その精液を丁寧に拭っていった。 「げっ、それこいつがさっき使ってたティッシュじゃねえか。捨てろよ気色悪い」 「馬鹿言え。大切な記念だよ」  医者は汗と精液が染み込んでいるそれを業務用の保存袋へ入れ、日付をラベルに書き込んでいた。男は相手をするのも馬鹿らしいと言いたげに鼻を鳴らすと、ローションを手に取る。慣れた手付きで指を濡らすと、無防備な孔にいきなり押し込んだ。 「ゔわあぁああ゙っ!」 「やっぱり男は可愛がってやったところで濡れないのが面倒だよな」  唐突に襲う苦痛に悲鳴をあげるセシルを男は気にも留めなかった。堅く引き締まった狭いそこで、無理矢理指を動かし続ける。薬効ではごまかしきれない、胃まで押し潰されるような圧迫感がセシルの全身を征服していく。逃れようとしても、医者がすかさず腕と肩を押さえ込む。  更に男は慣れた様子で股の間に体を滑り込ませ壁に押し付けるようにしてセシルの片足を固定し、空いている手でもう片方の足を抱え込んだ。こうしてセシルはただ拡張の衝撃を受け止め続けることしか出来なくなった。勃ちあがっていた陰茎は見る間に萎え、逃れようと腰を動かす度に無様に揺れた。 「だいぶキツいな。ひょっとして処女か?」 「枕すらやらずにあの人気なのか!? 奇跡だ……よく誰にも手折られずに来てくれたね」 「初物なんてもうヤリ方忘れたよ。こいつは時間が掛かりそうだな」  男が強引に内部の指を増やして動かし続けている間、医者はセシルの顔を覗き込んだ。汗が頬を伝い、唇からは不規則な呼吸が漏れ、恐怖と苦痛で見開かれている目は医者の恍惚とした微笑みを映している。 「怖いよね。分かるよ、大丈夫だよ。最初は誰でもそうなんだ。でもすぐに幸せな気持ちしか残らなくなるからね。……約束だよ」 「むぅ゙っ……!?」  そのまま医者はセシルに覆い被さるようにして口付けた。強引に舌を滑り込ませ、口蓋や歯列を丁寧になぞっていく。セシルは半ば本能的にその太い舌を自らの舌で押し出そうとしたが、その動きさえも絡め取られるようにして弄ばれるだけだった。医者の腐臭にも似た口臭が肺を満たし、目眩がするような気色悪さが襲う。あまりにも背徳的な行為に心の底から拒否感が湧いた。それでも薬効で過敏になっている粘膜はそんな行為からも快楽を拾ってしまう。  先ほどから続く拡張の痛みと口内に与えられる快楽という正反対の感覚に振り回されて、抵抗も出来ずにセシルの正気はますます失われていった。 「やだ……ん゙んっ、あ、い゙!……それだけはっ……嫌……」  僅かな理性が拒否の言葉を紡がせるが、苦痛への呻きや絡む舌がそれを堰き止めていく。  当然そんな願いを誰も叶えるはずもなく、寧ろ各々の行為をより苛烈に導く結果しかもたらさなかった。 「たしかセシル君の国って身持ちが堅いんだよね。それなら今とても恥ずかしいし怖いよね。素っ裸にされて、ベロチューされて、お尻の穴に指入れられて、嫌だよね」    医者の言葉の意味をどれだけ解しているかは知らないが、セシルは宥めるような響きへ縋るように何度も頷いていた。意識はいつまでも霞が広がっているようにはっきりしないが、ただ何か恐ろしいことが起こっているような恐怖心が溢れて止まらなかった。 「それなら僕達と恋人になっちゃえばいいんだよ。好きになって、愛し合うならこんなの当たり前のことだろう。僕はセシル君のことが好きだ。初めて見た時から本当に好きなんだ。こんな素敵な子はいないって思ったんだよ。ね、恋人になろうよ」 「………………いやです」  部屋は一瞬の静寂に包まれた後、医者の呻り声と男の笑い声で満たされた。 「ここまで効いてても嫌がるなんてまぁ……こりゃ相当恋愛に夢見がちなねんねちゃん連れてきたもんだな」 「普通この状況で断るかね。僕はこの子の将来が心配だよ」 「そう落ち込むなって。これからキス以上のこともたっぷり体験してもらってからまた聞いてみようや」 「ぎい゙……っ!」  男が更に内部を押し拡げると、セシルは痛苦の声をあげた。その様子を医者はもどかしそうに眺めている。 「なぁ、もういいんじゃないか。処女なんだろ。僕が初めてになってあげたいんだ」 「そうだな。もう俺も厭きてきたし、いいんじゃねえの」  男が指を抜くと、ローション塗れになった孔が露わになる。確かに拡がってはいたものの、それはまだ明らかに指以上のものを受け入れることなど出来そうにない。だがそれを医者は特に気にしている様子もなかった。 「こういうことは将来の相手とするのが一番幸せになれるからね」  医者はそう呟きながら男を退かし、セシルの脚の間に体を滑り込ませた。チャックを下ろして陰茎を露出すると、先端を孔へと宛がう。セシルは朦朧とする意識の中で何をされているか分かっていないのか、虚ろな瞳で男達を眺めている。医者は逃れられないように腰を両手で掴むと、勢い付けて陰茎を押し込んだ。 「い゙あぁあっ!」 「……まだキツいね。先しか入らないや」    上からのしかかるようにして医者はセシルに体重をかけていく。打ち込むような衝動が腰から頭まで貫くように走り抜け、堅い肉が割り開かれる。声を抑えようとする最低限の理性さえ残されていないセシルは、体を裂かれる激痛に絶叫した。医者の長大な陰茎を漸く半分ほど呑み込んだ時には、周囲に血の臭いが漂っていた。シーツには赤い染みが点々と付いている。  処女だね、やっぱり処女だったよ、とそれを見た医者は恍惚として呟いた。誰も踏み入れていない箇所を己の手で蹂躙する喜びは、医者が久しく感じられていないものだった。  そのまま傷口が開くのも気にせずに、寧ろ自ら裂くようにしてまでセシルの内部へと医者は陰茎を打ち付け続けた。押し潰されそうな狭さも、蹂躙されているセシルの健気な抵抗のように思えて興奮を煽られる。ぐちぐちと粘液質な音が大きく響く度に、泣き出しそうな悲鳴が洩れる。それでも涙を流していないのは僅かに残された彼の誇りのようにも思えて、医者は愛おしさに溜め息を吐いた。 「いだ……ぃ……! うゔっ、あ゙ああぁ! え゙っ……やだ、ぁあ゙っ!」  医者を押し退けようとしてその肩を強く掴んだまま、セシルは痛苦に耐えていた。肩に爪を立てられる僅かな痛みの何倍もの衝撃を押し付けられている。そんな腕の中の哀れな存在を、医者は強く抱き締めた。一際強く腰を打ち付けた時、医者の耳元でセシルは絶叫した。拒絶が込められた悲鳴とは裏腹に、温かな肉と血潮は医者の陰茎全てを包み込んでいた。 「やっとだ、頑張ったね。辛かったね」 「ぐるし……い…………! 抜いてっ……おねが……あ゙ぁあ! むぐっ!? ん゙っ!」  傍らに佇んでいた男はセシルの肩を引くと、懇願する口へと己の陰茎を突き入れた。 「噛んだら殺すぞ。全く、いい加減こいつの悲鳴煩いんだよ」  突然呼吸が制限され、喉の奥を征服していく肉塊にセシルは声も出せずに悶えた。暴れようとする頭部を男は乱雑に掴んで陰茎を押し付けていく。 「おい、顔が見えなくなったじゃないか」 「暇なんだよ。少しは遊ばせろや」  医者がやや不服そうに頷くと、男は更なる快楽を求めて気道を蹂躙していく。溢れる先走りの青臭さが鼻腔を直撃し、酸欠気味の意識が白んだ。その度に全身は硬直し、より強く医者の陰茎を締め付ける。快楽の波に医者は唸り声をあげた。 「そろそろっ……!」 「うゔっ!? や゙あっ! やえ゙えぇ!」 「ははっ、何言ってんだか分かりゃしねえな。母国語か?」  医者の気配から何かを察したのか強く暴れるセシルを男は嘲笑った。髪を強く引くと柔らかな毛がプツプツと切れる。暴れる手足を医者の男が纏めて固く抱き締めた。  猛り立つ男達の陰茎とは違い、セシルのそれは上下から与えられる振動で力無く揺れた。薬効に頼った快楽など消し飛ぶほどの苦痛だけが彼の躰を征服していた。腹の中で熱い体液が拡がっていく。それをより深くへと擦り込むように医者はセシルを抱いたまま腰を振っていた。  それを気持ち悪いと思う間も無く、男が喉奥で射精する。べったりとした感触は食道や鼻腔まで飛び散っていく。上下から感じる熱さ、腐臭、激痛、それらが何よりも穢い汚濁と共に躰に染み込んでいく。男達が離れた時に現れた光景は悲惨そのものだった。  汗に塗れた躰は時折震え、下半身からは血と精液の混合液が垂れ落ちる。固まって赤茶けたシーツにまでそれは伝い落ちて新たな染みを作っていた。生理反応で流れた涙や鼻水と流れ出た精液で整った顔も酷く汚れている。足首に辛うじて残されている下着がより悲壮感を漂わせていた。 「ちょっとやり過ぎたかな」  そう言いながら医者が近寄ると、セシルは伸ばされた腕を払い除けた。 「一体……なに、を…………」 「おや、起きちゃったか」  顔を覗き込むと、はっきりと意志を宿した瞳が医者を見つめ返した。医者は小さく口笛を吹くと、セシルを抱き起こして座らせた。 「意識が戻ったのか?」 「薬が切れかけてた時に痛い目に合い過ぎたんだろうね。まだ軽いのしか使ってないから」  セシルは既に何をされたのか理解しているらしく、肩を竦める医者と舌打ちをする男を睨んだ。どれほど残酷で恐ろしいことをしたのか理解していない様子の男達は、ただグロテスクに存在している。セシルは倒れ込むふりをして傍らに戻されていた鞄を掴んだが、すぐに男に引き寄せられた。 「警察でも呼ぼうとしたのか? え?」  まだ割れるような頭痛がする中で、耳元で怒鳴られると本当に煩かった。だがそんなことに気を留める必要はない。セシルは腕を掴む男に渾身の力で噛み付くと、緩んだ腕から転がるように逃れた。 「セシル君、本当に大丈夫かい? 警察に言ったら困るのは僕達だけじゃないよ。何使われたのか分かるよね? 君も同罪になっちゃうんだよ?」  淡々と語りかける医者を無視して、セシルは鞄から携帯を取り出した。医者の語る内容などセシルには全く届いていない。受けた衝撃と恐怖、そして抵抗心だけが彼の躰を動かしていた。だが、咄嗟に通話ボタンを押した瞬間、セシルは背後から男に蹴り倒された。 「聞き分けがないな。薬使われて男に犯されましたってお前が警察で調書取るのを聞けないのが残念だ」  セシルがふらつきながら振り向こうとした時には、太い腕が首に回っていた。口元を布で覆われ、それに染み込んでいた噴気性の薬が彼の意識を再び奪っていく。傷付き、弱った躰ではこれが限界だった。  男は正気を失ったセシルを抱え上げるとベッドに戻した。すかさず医者の男は抵抗の出来ないセシルに次々と薬を吸わせ、より深く意識を混濁させていく。 「思ってたよりしぶといね。警察に今来られたら流石に面倒だったよ」 「考えはあるさ。暴れるなら首輪をキツく締めてやらないとな」  セシルの携帯を没収した男は、今度は堂々とベッドの側にカメラを設置した。 〈もうい゙やぁ♡♡♡ やめて、くださっ! ひどいっ! ああっ♡ もっと、もっとぉおお゙っ! ゔあぁああ゙あああぁあっ♡♡♡〉  男の携帯を眺めるセシルの顔から瞬く間に血の気が引いていく。それも当然だろう。  画面の中にいる自身の姿は全く覚えの無い物だったのだから。股を伝う血も気にせずに快楽に溺れているセシルは、男達に寄り添い、媚び、奉仕していた。 「ワタシ、こんな…………」 「さて、これでもまだ警察を呼ぶか? こんなにアンアン喘いで喜んでるのに強姦されましたなんて誰が信じるんだよ。ほら、カメラに向かって手まで振って。ノリノリじゃないかセシル君、ええ?」  セシルは震える手で携帯を男に突き返すと黙って俯いた。男の隣で医者が映像を見て小さく笑い声を洩らしている。  その嘲笑に反応する気力もなく、セシルは視線を下に向けたままだった。仮に警察に連絡出来たとしても、それと引き換えにセシルは二度と人前には出られなくなるだろう。  それに、詳細が広まることで傷付けられるのは彼自身の名誉だけではない。国家の威信、事務所の印象も間違いなく塗り替えられる。  魔法を使うことがセシルの脳裏を過ったが、疲れ切った今の躰で出来ることなど高が知れていた。それに、どうやって映像を拡散する手筈になっているのか不明な以上、男達を直接傷付ける方法は使うことが出来ない。今動くのは得策とは言い難かった。  再び意識を取り戻したセシルに映像を見せつけたのは正解だったと男は確信した。セシルの動揺が男には手に取るように理解出来る。医者も悪戯を思いついた子供のように笑うとセシルの隣に腰掛けた。 「どうしてもって言うなら僕が警察呼んであげるよ。そうだ、セシル君の携帯にも映像のデータ送ってあげようか。SNSでセシル君のアカウントからそれ投稿したらみんな気付いてくれるんじゃないかな」 「…………て……くだ……さ……」 「何? 聞こえないよ」 「……やめてください」  低く沈んだ声で呟いたセシルを見て、医者は満足げに頭を撫でた。指通りの良かった髪は汗と精液に塗れており、その太い指を汚した。   「セシル君、そんな泣きそうな顔するなよ。僕達だって鬼じゃない。期間を決めてあげるからその間だけ言うこと聞いてくれれば悪いようにはしないよ」 「いつまでも同じ奴の相手したら飽きるからな」  男の言葉を医者は特に否定しなかった。背を擦りながら、柔らかな口調で語りかけてくる目の前の医者をセシルはただ気味悪く思った。この状況で日常さながらに振る舞える存在など理解の範疇にいるはずもない。 「セシル君は撮影あとどれくらい残ってたっけ?」 「……二週間です」  それを聞いた男は手を打つと、仕事場と同じように下劣な笑みを浮かべて口を開いた。 「じゃあそれでいい。撮影が終わるまでの二週間だけ俺達に付き合ってくれたらもう何もしないし、このデータも消してやるよ。ただの仕事仲間に戻るんだ。お得な取引だよな」 「………………」  選択肢を全て潰された上での取引など命令と同じだ。セシルは黙って頷くことしか許されていなかった。それを見た男は馴れ馴れしくセシルの肩を抱く。これからよろしくと囁く分厚い唇からは腐臭がした。だが、もうセシルは彼を振りほどくことが出来なかった。 「交渉成立だね。じゃあ今日はもう遅いしお開きにしようか。セシル君も早く服着た方が良いよ。それとも着せて欲しいのかい?」 「結構です」  医者が差し出した服をセシルは引ったくるようにして受け取る。だがその勢いでふらついた躰を医者はすかさず支えた。ほらやっぱり、と膚に這う指の感触に総毛立とうとも、セシルは何も出来ない。医者を残して、男が侮蔑の眼差しと共に去ろうとも、服を着せるという名目で医者からまた弄ばれようとも動けない。  セシルという存在の主導権は何も残されていなかった。

2022/10/10のハピ愛新刊サンプルです。

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