たくさん愛してください

初夜

 この部屋に愛島セシルがいる。その非現実的な事実は男をすこぶる興奮させた。自身でやったこととは言え、拉致監禁という犯罪行為と手に入れた成果に自然と息が乱れる。  四畳半の不衛生な部屋に敷かれた潰れた布団に、セシルは横たわり静かな寝息を立てていた。間近で眺めても染み一つない肌、しなやかで頑且つ恵まれた体格を前にして、男には今すぐにでも服を剥ぎその肢体を隅々まで手にしたいと願った。だがそれ以上に興奮を得て、より深く屈辱を与える方法を男は思いついていた。 「ねえ、起きて。起きてよ」  肩を軽く掴んで揺さぶるとセシルは小さく唸りながら身じろぎをする。口元には幸せそうな微笑みまで浮かべて。 「……何ですか、ハルカ。まだ眠るじか、んっ!?」 「おはよう。春歌ちゃんじゃなくて僕みたいな汚いおじさんで悪かったね」  幸福な夢の中でセシルは男に甘えるようなまなざしを向けていた。そしてその幻想は現実を認識した瞬間に打ち砕かれ、紅潮した頬は一気に青ざめていく。優しく愛しい面影は何処にもなく、眼前にあるのは狂気を含んだ眼差しと、たるんだ皮に包まれた汚らしい男だった。 「アナタはさっきの……此処はどこですか? ワタシを捕まえて何が目的ですか!」 「目的? セシル君と僕の挙式の練習。分かりやすく言えば花嫁修行かな」 「……は?」  拉致監禁という犯罪行為の最中でその回答はいっそ滑稽だ。それでも男の目的は真実だった。これは男からセシルへの身勝手な報復だ。  セシルが当然のように夢見ていた人生をぶち壊し、こんな心身ともに醜い自分だけの物にされること。それがセシルにとって最も辛く相応しい断罪だと男は長いストーカー行為の中で導き出していた。  男の力であれば恐らく意識まで支配し、セシルを従順な奴隷にすることも可能だろう。だがそんな楽な道を選ばせる気はさらさらなかった。それでは報復足り得ない。  全てを失い、男だけの愛らしい偶像に成り下がったとセシルが実感することこそ、多くの人間の人生を狂わせのうのうと生きていたセシルに対する復讐であり、そしてこれから二度と自身のような哀れな犠牲者が出ないようにする為の予防策だと男は確信していた。 『これから何をすべきか分かるよね』 「一体何を言っているのですか? ワタシはアナタと結婚しませんし、これから何をしろと言うのです?」  セシルは冷ややかな目を男へと向ける。だがそう言いつつも彼はそのまま起き上がり、首に巻かれていたストールを床へ落としていた。 「ちゃんと積極的な姿勢を見せてくれて嬉しいな」 「えっ、何故。……嫌っ! 躰が勝手に!」 「未来の旦那様に逆らったこと、まずはごめんなさいしようね」  セシルの手は彼の意思とは関係なく動き、上着とボートネックのシャツを脱ぎ捨てた。  残った薄い肌着一枚を捲り上げると、厚い胸板が露わになる。息を完璧にコントロールする為に割れた腹筋。脂肪が少なく、肩周りに比べると細い腰。見られるということを意識して磨かれた艶のある肌は、踵の其れでさえ男のものより柔らかだった。音を奏でる為、鍛え上げられた躰はこの薄汚い四畳半では明らかに異質だった。  セシルはそのままベルトに手を掛けると一気に引き抜きながら立ち上がった。必死に抵抗するように脳に命じても躰は言うことを聞かず、セシルの首から下は全て男の支配下に置かれているらしかった。  男が厭らしい笑みを浮かべながら手を打つと、それに合わせてスラックスが下に落ちる。地味な色味の下着が男の眼前へと晒された。 「止めなさい! 無理矢理こんなことをするなんて最低です!」  自由に動く口で叫ぼうと、男を悦ばせるだけだ。セシルは羞恥で頬が熱くなっていることを自覚し、そのような表情をも見られることを恥じた。好きでもない相手に裸体を晒す屈辱と怒りに鼓動が早まる。だが皮肉にもその様子こそが男の劣情に火をつけていた。 「さて、御開帳といこうか」  セシルの制止をBGMに、男は下着を一気に擦り下させた。手入れされ無毛である恥部に、男のそれよりも明確に大きい陰茎が露わになる。男は満足げに口笛を吹いた。  皮の剥けていてカリの太い陰茎はいかにも女性が悦びそうな形状だった。それなりに経験もありそうなそれを男は舐めるように眺めた。  こうして脱がせてみるとよく分かる。幾ら外見が整っていようがセシルは明らかに男性だ。それにもかかわらず男の下半身は既に痛いほどに兆している。  最早男の性癖はもう取り返しがつかないほど、セシルに滅茶苦茶にされていた。それなのにセシル自身はこれを使ってあの彼女を抱いていたと思うと反吐が出そうだった。 『ほら謝れ! お前に騙された人間全員に謝罪すんだよ!』  男の言葉に強制されるがままにセシルの躰は床に四つん這いになると、そのまま音を立てて床に頭を打ち付けた。  自分の躰の意図しない行動にセシルの口から呻き声が零れる。 「ワタシ愛島セシルは……、今までっアナタ様を含む多くの人を騙して暮らしていただけでなく……ぅ…将来の旦那様に反抗までした悪い子です……っ! 申し訳、ございませんでした……」  心に浮かんだこともない謝罪の言葉が口から溢れる。  その内容の下劣さにセシルは軽蔑を含んだ眼差しで男を見た。だがその姿は素裸に靴下だけを身に着けた間抜けなものであり、その恥も外聞もない恰好でトップアイドルの愛島セシルは男の足元に深々と土下座していたのだった。  その姿は彼がステージの上で見せる圧倒的輝きも、人としての尊厳さえも微塵もない無様で悲惨なものだった。  男にとってそれはずっと夢見ていた最高の光景だ。湧き上がる支配感と高揚感に叫び出す寸前で、男は漸く口を開いた。 「これで僕とセシル君とじゃどっちが立場が上か分かったんじゃない? ストリップキメて全裸土下座までしておきながらまだ従うの嫌だって言うんならそれはそれで面白いけど……」 「嫌です」  饒舌気味に捲し立てる男に対し、セシルは何事もなかったかのように頭を起こすと正面から見据えた。 「嫌に決まっています。恐らくアナタはワタシに強い執着があるのでしょう。……そしてワタシの選んだ道が気に入らなくてこんなことをしているのだと思います。ですが、ワタシはワタシ自身で生き方を決めています。こんな風に無理矢理従わされることはお断りします」  背筋を伸ばし出来る限り穏やかな語り口でセシルは男へ語り掛けた。それは男が望んだような情けない姿ではなく、一種の風格すら漂う姿だった。  だが男にその語る内容は一割も届いていなかった。男はただセシルの姿を見ながらひたすらに内心で狂喜する。  自分が夢見ていた誇り高く、美しく、優しい愛島セシルは仕事用の虚像ではなく真実だったとこの姿で証明されたのだから。  だからこそ入り混じっていた嘘が何より恨めしい。既に身も心も赤の他人に捧げていた事実が脳裏で幾度も蘇る。  男は他人を喜ばせる為の夢に踊らされ犯罪行為にまで手を染めた自身の弱さをセシルに擦り付け、身勝手な恨みを深めていた。 「そういう所に嘘つかないならさぁ、せめて彼女持ちって最初から知ってれば僕がこんなことしなくてすんだかもしれないのにね……。あとさ」 「い゛っ!?」  セシルの躰は再び床に頭を擦り付けた。 「誰が勝手に喋っていいって言ったよ。さっきの偉そうな自己弁護もそうだけど、君さぁ微塵も反省してないよね?ほら、もう一回最初から」 「……は?」 『ほら早く!』  途端に男の言葉に合わせ、セシルの躰はそれに伴う痛みを考慮することなく、何度も床に頭を打ち付け始めた。  既に小さな額は赤く腫れ始めている。 「ワタシっ! 愛じっま、セシルは、っ! 今までぇっ!?」 「あっ舌噛んじゃった? ごめんね。床に頭ゴンゴンぶつけながらだとそうなるか」  途端に躰の支配権が戻った。思わずセシルは自由になった手を口に当てて唸った。痛みにふうふうと気が立った猫じみた声が意図せずして漏れる。 「じゃあやり方は分かったよね。今度はしっかり床に頭擦りつけながら言ってみようか?」  男が優しく頭を撫でると、セシルは男の手に視線を向けた。目元に薄く涙が溜まっていること以外、セシルは平静を保っていた。その瞳には静かな怒りが爛々と輝く。  本当に何様なのだろうか。男はその様に思わず苦笑した。  手の内に堕とされているというのに、思わず見惚れてしまうほど、この青年は美しく力強い意志を見せている。  こうしてこの無意識の美は様々な人間を虜にし、自分のように唯一無二の関係を求めた人間達の人生を台無しにしてしまう。それなのにその原因は自身の行為の罪深さを理解出来ていない。なんて可哀想な子供なのだろう。 「文面忘れちゃったのかな? 結構長かったもんね。でもそれだけセシル君は罪深いってことだから、まずはこれで浄化していこうね」  ここで何としても食い止め、更生させてあげなくては。  そんな身勝手極まりない一心で男は立ち上がるとセシルの頭を踏みつけた。何度も夢に見た指通りの良い黒髪が足裏に絹のような感触をもたらす。  セシルが無理に暴れようとする度に、それを責めるように男のかけた力が全身の肉を固めた。全身が見えない拘束具で抑え込まれ、ある筈のない重量がセシルに圧し掛かる。  肉を僅かに動かすことさえ許されない厳重な拘束で、呼吸さえも細く僅かにしか出来ない。そんな状態で指先まで両手を揃え、後孔まで晒す情けない姿を強制される。  何一つ逆らうことは出来ずにセシルの口からは男が願うままに相応しい謝罪の言葉が溢れ出す。  大切な人生の一部となっていた生き方を否定し、男に媚びを売らせられる不甲斐無い自身も、それを強制する男もセシルは心底軽蔑した。 「わかった? 今度はもう一度始めから、僕の力借りずに言おうか」  だからこそセシルは無言で首を振る。だが強制されている体勢では床に頭を摺りつけているようにしか男には見えず、その様に嘲笑が零れた。しかし男もいい加減セシルに意地を張られるのも飽きていた。 「いつまで黙ってんの? 僕にだって限度があるんだよ。舐めてるのかな? 舐められるのは馴れてる方だけど、セシル君も結局そんなことする子だったんだね。そんな子に僕は入れ込んで人生台無しにしたんだな。最低だよ僕の人生。責任とれよ」  一方的に捲し立てながら男が手を打つと、自然とセシルの手が伸ばされる。差し出された手に男は鋏を投げ渡した。そのまま開かれた鋏は小指を軽く、だが確実に挟み込んだ。まだ薄皮も切れてはいないが、男が命じれば何が起こるのかは明瞭だ。 「ちょっと古い価値観かもしれないけど、僕は結婚するなら奥さんには家庭に入ってほしい派なんだ。そんなに意地張るならまず先に仕事出来なくしてあげるね」  淡々と語られる内容を聞くだけで全身の膚が粟立った。  二度とアイドルとして活動出来なくなるほどに肉体を破壊しようと男が目論んでいることは明らかだ。男が得意げに語る間、躰も魔力も何一つ応えてはくれない。  セシルは男の横暴を受け入れるしか道はない。 「大丈夫、切り落とすとかじゃないからね。ただ二度と人前に出られなくなるだけだから。ほらぁ、カメラでアップになった時に傷跡残ってるアイドルとか皆嫌でしょ? まあセシル君が意地張ってでも全身の皮膚鋏で剥きたいって言うなら……」 「分かりました。……っ言います、言いますから!」  食い込んだ刃に唸りながら、セシルは男を制止した。自分の容貌が変化することや痛みが恐ろしいのではない。  二度と仕事が出来なくなる躰にされることに恐怖を抱いてしまった。歩んできた道をこんな形で終わらせたくないと願ってしまった。これからの人生を変わらず歩む可能性を残す為に、これまでの人生を否定させられる矛盾はセシルの精神に重くのしかかる。  ほんの一瞬とは言えセシルから狼狽を引き出した男は満ち足りた顔でセシルの躰を自由にした。軋むように手足に血が通り始める。  だがそれもより精神的な拘束を強める為の手段に過ぎない。暫し茫然としていたセシルに、男はそれとなく促した。  目の前の男から示された辱めにセシルの全身から怒りで血の気が引いていく。 「いつまでボーっとしてんの? あと五秒以内にしないと……」  だがそんなためらいさえも男は許そうとはしない。形振り構っていられなかった。セシルは自ら膝を屈して手を付き、床に頭を摺りつけた。その肩は恐怖などではなく悔しさと申し訳なさに震えていた。それでも表面上は平静を崩さず、セシルは言葉を紡ぎ始める。 「……ワタシ、愛島セシルは今までアナタを含む多くの人を……騙して……暮らしていただけでなく、旦那様に反抗までした悪い子です。申し訳ございませんでしたあ゛あぁ!?」  身を切る様な罪悪感の中で全てを言い終わった瞬間、刃が手に突き立てられた。あまりに予想外の激痛に悲鳴が響く。 「何その蚊の鳴くような声。心から反省してないでしょ」  男は冷徹に言い放ちながら傷を押さえて悶えるセシルを見下ろす。先ほどまでの鼻に付く冷静さは失われ、苦痛と驚愕が入り混じったセシルの表情に男は思わず噴き出した。  人として当然のその反応さえ、男は嫌々でも〝言った〟からこそ許されると思う傲慢さと解釈していた。 「ほらもう一回、出来るまでやるからね」 「……っ……う……」 「ボケっとしないで。返事は?」  手から鋏が引き抜かれ、意図せずセシルの躰が再び鋏を構える。強制される自傷行為を眼前にして、セシルの表情に初めて怯えが滲む。 「……はい」  少しあどけなさが残るその表情に男の情欲は更に掻き立てられていく。そして再び、セシルはあの恥ずべき卑猥な文面を最初から最後まで言わされていた。その度に男は難癖をつけ、鋏で躰を傷つけさせた。  本来であれば痛みで力の緩む筈の自傷行為だが、躰の主導権が他人にある状態ではどれほどセシルが痛みを感じようと関係ない。食い込む刃の勢いは増していき、赤い血が指を伝って床に垂れた。 「ぎっあ゛あぁあぁあ゛あっ!」 「〝惑わせて〟じゃなくて〝騙して〟だよね。何勝手に変えてるの? 作詞してんじゃないんだよ。反省の気持ちがないからこんな文章も覚えられないんだよ?」 「やだっ……今のは間違えてなっあああ゛あぁっ!」 「反省してる声色じゃない。僕をゴミ虫とでも思ってるんでしょ。そのゴミ虫に負けてることいい加減自覚しようね」  滅多に使われない台所で錆びていた鋏は深く躰を傷つけることは出来なかったが、だからこそ表皮の神経をゆっくりと抉り、痛苦の時間は長く延びていく。 「ひい゛っいいぎぁああ!」 「また声が小さい。そんな絶叫出来るのになんで謝罪は声が小さいんだよ。腹の底から声出して」 「なんで……ぐっ……う゛うぅうう゛!」 「土下座の姿勢が崩れてた。ちゃんと手足揃えてよ。そこまで面倒見てあげらんないよ」  男は幾ら不満があろうと決して短くないその謝罪を必ず最初から最後まで言わせた上で罰を与える。間違えていた、声が小さい、姿勢の崩れ、一度指摘した内容でも出来てなければ幾度も繰り返される。男の感覚でほぼ全て判断される罰の基準は滅茶苦茶で、その行為は横暴そのものだった。  漸く終わったかもしれないと希望を僅かに抱かせた上で与えられる痛みはより強く肉体と精神を抉る。喉が枯れるほど何度も何度も絶叫させられた内容は嫌でも脳裏に刻み込まれる。  今までの人生が間違っていたという罵声、男に何度も誓わされる服従、長い手足を小さく折りたたんだ謝罪の姿勢。  そして逆らった瞬間の激痛。何もかもが惨めだった。  喉が裂けるのではと思ってしまうほどに最初から最後まで絶叫し通し漸く許された時には、セシルの体内時計で数時間もの時が過ぎていた。  男は汗みどろで荒い息を吐くセシルを見て、自ら傷つけさせた骨張った手へ視線を向けた。何か所も皮が剥かれて薄桃色の肉が見え、切り傷が幾重にも刻まれていても、美しい手は彼が所属していた階級を今も尚伝えている。  その情景には高根の花を自らの手に奪い去り、思うがままに所有する悦びと背徳的な興奮があった。 「こんな服もういらないよね。次着る服はウエディングドレスなんだから」  男はセシルの手から鋏を奪い取ると、彼が身に着けていた服を出来る限り細かく切り刻み、生ゴミ入れへと投げ捨てた。  男の思考の異常性が突きつけられる中で、セシルは口腔が異常なまでに乾いていることを自覚した。言動も行為も全てが気持ち悪い。情欲と怒りという相反する感情を向けられ、抵抗を許されない恐怖は加速度的に増大していく。 「……じゃあ本番といこうか。セシル君が思ったより鈍いからもう僕我慢できないよ」  再び躰が勝手に動き始める。やはりセシルが幾ら力を込めようと無駄だった。下手に言葉で抵抗してまた自傷行為を強要されるのも避けたかった。  何をしても無駄ならば、せめて男が悦ぶような反応だけはしまいとセシルは口を閉ざし無言を貫いた。  両手の指は根元までしっかりと組まれ、後頭部へと置かれる。手へと付けられた傷口に指が食い込み、溢れた血が腕を伝っていった。体格の男らしさとは裏腹に、人前に出るが故に毛の剃り落とされ手入れされている褐色の膚は女のように艶めかしい。  足は直角に曲げられ腰を落とし、関節が軋むほど開かされた。俗に言うがに股、腋や胸元、恥部に至るまで男としての弱点を全て晒した間抜けな体勢で、セシルは一切の抵抗を封じられていた。 「はぁ……。これが君の躰なんだね……本当に綺麗だ……見ていた通り……可愛いよ……」  男はブツブツと呟きながらセシルの躰へと手を伸ばす。  絡みつくような視線に沿って芋虫のような男の太い指が躰を這っていった。日本に来てから軟化したとはいえ、セシルは元々ごく一部の相手を除いて積極的に他人と肉体的な接触をする方ではない。育った環境もあるのだろうが、限られた友人や恋人にだけ彼はそれを許していた。  だからこそ、身勝手に膚へ男の指先が触れるだけで、ぞっとするような不快感が全身を駆け巡る。男の荒い息が耳元の空気を湿らせ、セシルは思わず顔を背けた。  だがそのような漏れ出る嫌悪さえ、男を悦ばせていることにセシルは気づいていなかった。 「髪の毛もサラサラだし、顔が本当に綺麗だね……そっぽ向かれてると鼻筋通ってるってよく分かるなあ。でも『こっち向きなよ』褒めてんだよ? そうそう、良い子だね。睫毛も長いし唇も艶々してて……嗚呼この目だよ! 本当に色が変わるんだね、それにこんな綺麗な顔してるのに僕よりずっと鍛えてて凄いよね、ああでも……ふふっ、案外乳首は可愛いんだよね。セシル君ってあんまり脱がないからさぁ貴重なんだよ。褐色膚だと乳首の色が分かりやすくって良いよね……あっ!」  まともに抵抗出来ないのを良いことに、好き勝手に批評していた男は顔を輝かせた。 「本物のアグナタトゥーだ……本当にタトゥーなんだ!」  褐色の膚に刻まれている高貴な紫紺に男は手を伸ばす。  何度夢に見たか分からない紋章は、男にとって痛ましくも妖しく映っていた。 「……汚い手で触らないでください」  その時セシルは咄嗟に口を開いた。  汗ばんだ男の指が鎖骨に触れている。そのまま下に降ろせば男は容易に王家の証を穢せるだろう。だが男は考え込むようにその手を放した。 「ふーん、汚い手ね」  男が手を打つとセシルの躰は更に腰を落とし、後ろに転がる寸前で固定された。体勢の安定の為に掛けられた負担で太腿は小刻みに震えている。それでもこちらを見下ろす男を睨もうとセシルが顔を上げた瞬間、男はファスナーを降ろし下半身を露出した。 「ひいっ!」 「汚い手が嫌ならもっと汚いモノで触ってあげるよ」  男はセシルの肩を決して逃さないよう両手で押さえつけると、陰茎をタトゥーに擦り付けた。この為に体勢を変えさせたのだと気づいた瞬間、陰茎からは先走りが溢れ出し彼に刻まれた誇りを穢していく。その様はセシルのすぐ目の前で繰り広げられていた。見る間にセシルは血相を変える。 「今すぐやめなさい! やめろっ! よくもこんなことを!」 「うるさいなぁ、こんなの君のファンならみんなやりたがってるに決まってんだろ。厭らしい位置にタトゥーなんか彫る君の国が悪いんだよ、売春婦の一族か何かか?」 「ばっ……!?」 「でもさぁ本当に王族でアイドルなんだね。……中途半端なんだよ。将来あの子と子作りして未来の王様産むんでしょ? よりにもよってアイドルしてる時に嫁さん探しすんなよ! 何の為に日本に来たんだよ、一体どんな経緯だよ……王子様なら素直にそれだけやってたらさぁ、僕がこんな風に人生棒に振らなくてすんだのに! ……なら僕が相手になってもいいよね、なってあげるよ。アイドルも王子様も何もかも辞めて二人で幸せな家庭築こうね」 「いい加減にしなさい! それ以上国とワタシ達を侮辱したら絶対に許しません!」  耐え難い恥辱とセシルの事情を顧みない男の勝手な言い分は、セシルの怒りに触れるには十分過ぎた。  思わず声を荒げるセシルを見下ろしながら男は嘲った。 「許さないとどうなるの?」  男が腰を引くと先走りが男根とタトゥーの間に汚らしい橋をかける。 「そんなの決まってえぇえ゛ええ゛っ!?」  セシルが振り切るように身を揺すって言葉を続けようとした瞬間、男の脚がセシルの股間を蹴りつけた。  男として共通の弱点に与えられた激痛に、宣言しようとしていた高潔な文句はただの悲鳴へとすり替えられる。  それでも体勢を固定されたままでは痛めつけられた部位を押さえることも出来ず、セシルは直撃した痛みに無様に身悶えるしかなかった。 「こんな何もかも丸出しでイキっても面白いだけだからさ。やめてよほんと……お腹痛い……」  部屋には男の勝ち誇った笑い声が煩いほどに響く。  狙い通りに辱められ、未だ尾を引く痛みと屈辱にセシルの怒りは更に掻き立てられていった。 「ごめんね。次世代作る為の大事な金玉蹴とばしちゃって。……あーあ腫れちゃって痛そう」  男は馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、腫れあがったセシルの陰嚢をわざと強く撫でまわした。  痛みの残る箇所に無遠慮に触れられ、セシルは微かに呻き声をあげる。意図せずとも呼吸が早まり、肩を揺らした。  これ以上無様な姿を晒すまいと項垂れて耐えているセシルの様子を見ながら、男は煙草に火を付けた。安い煙の臭いが部屋に満ち、セシルは軽く咳き込みながら眉間の皺を更に深くする。 「ねえセシル君。これから君を灰皿にしようと思うんだけど、煙草押し付けられるの、タトゥーと亀頭のどっちがいい?」 「……は?」  セシルには男の言うことが理解出来なかった。否、理解したくなかった。男は満面の笑みで、まるで今日の夕食でも聞くような調子で言葉を続けた。 「本当はタトゥーに押し付けてその綺麗な模様ぐちゃぐちゃにしてやろうと思ったんだけどさぁ、そんな怒るくらい大事なら選ばせてあげようと思って。僕って優しいよね」  この男はどれだけ自分を愚弄するのか、何が優しいのか、そんなものどちらも嫌に決まっている、瞬時に脳裏を駆け巡った意見を口にした瞬間、どのような酷い目に合されるかセシルは学習させられていた。不甲斐無い自身への悔しさに視界が歪みそうになる。しかしどれほど痛みが伴おうと、セシルが取れる選択肢は一つに決まっていた。 「……き、亀頭にお願いします」  羞恥のあまり詰まりそうになる喉を必死に動かした。  卑猥な懇願自体を恥じているのではない。こんな男に従わされ破廉恥な懇願をさせられている事実に、セシルの頬は赤らんでいた。 「ん~聞こえないな。何か言うときは大きな声でって最初に散々教えたのにまだ分からないの? 本当に頭が悪いね」 「そん……な……」  だが男は笑みを崩さないまま無情に言葉を返した。灰が床へと零れ落ちる。 「お返事がないってことはどっちにもしてほしいのかな? セシル君は頭悪い上に我儘なんだなぁ。いいよ、煙草なんて何本でもあるし付き合ってあげ……」 「待ってください! やめて! 亀頭です! 亀頭が良いんです! ワタシの亀頭を灰皿にしてください! どうかお願いします!」  胸元に迫る火を見た瞬間、セシルは声を張り上げ男に思いつく限りの嘆願を叫んだ。絶叫。そう例えるに相応しい声が部屋に満ちる。最初の懇願に含まれていた僅かな躊躇さえ男は許さなかった。セシルは誇りを捨て、恥も外聞もなく叫んで目の前の男に媚びる。そこまでしないと許してもらえなかった。 「偉い偉い……。出来るんなら最初っからそうすればいいんだよ。じゃあお望みどおりに」 「う゛ぁっ!? いあ゛ぁああ゛ああぁああ゛あっ!」  過敏な粘膜に火を押し付けられて、耐えられる訳がない。  常人であれば耳を覆いたくなるような悲鳴が響く。  赤く残った痕に男は煙草を執拗に擦りつけた。  男の追い打ちにセシルは歯を食いしばり、これ以上声を上げまいとしていた。しかし荒い息が零れ、限界まで目が見開かれている状態では悲鳴が出ようが出まいが大して差はない。衝動を逃がす為に暴れようとする躰の震えは与えられた痛みがどれほどのものか男へ的確に伝えている。  カシャリ、と乾いた音がした。  セシルが思わす顔を上げるとフラッシュの光が瞳を射抜いた。 「セシル君があんまり情けないから写真撮っちゃったよ。ほら、可愛いでしょ」  見せつけられた画面には痛ましい火傷痕の残った男性器の写真が表示されている。  そのまま男が画面をスクロールすると、目に涙を溜めて茫然としたセシルの顔が映っていた。 「君の彼女もこんなセシル君の写真は持ってないよね。こんなことしたのも全部僕が初めてでしょ? 顔見れば分かるよ。折角だから僕達二人だけで写真撮影会しようね」  そう言うと男はあらゆる角度からセシルの躰を記録に残していった。顔を反らそうとしても髪を無理矢理掴み上げて固定され、必ずセシル本人が映っていると分かるように写真は撮られる。 「やめてください。ワタシはそんなこと嫌です! 撮らないで!」 「はいはい、そのままじっとしててね」  セシルの意思を尊重する者などこの場には誰もいなかった。シャッターを切られる音が響く度に、セシルの眉間へ皺が寄る。最低の行いを続ける男に躰を晒していることも、形としてこの時間を残されることも全てが苦痛だった。  だが、ずっと思い続けてきた肉体を前にして自重できる者などいない。男は写真を撮りながらセシルの膚を撫で擦り、その躰を存分に堪能していた。 「はぁ~っどこもかしこも本当に可愛いんだねセシル君は……しかし外人さんはチン毛処理してるって本当なんだね。幾らデカかろうがこんな赤ちゃんみたいな股ぐらだったら滑稽だと思うんだけど」  下腹を男の手が這い、思わず鳥肌が立つ。無心でやり過ごそうとしても時折髪を引かれる痛みが絶望的な現実へとセシルを引き戻した。  好きでもない男の前に裸体を晒し、弄られる屈辱はいつまでも彼を痛めつける。だがセシルの内心がどうであれ、既に彼の躰は支配下に置かれ、男の人形同然だった。 「笑ってみようか。折角可愛い顔してるんだから。……ねえ『笑え』って言ってるんだよ」  男の言葉に反応し、口角が醜く吊り上がる。声さえ出ない完全な肉体の支配。最早セシルはやめてほしいと願うことしか許されなくなった。 「ね、これだけ見るとセシル君がノリノリでこんな写真撮ってるみたいじゃない?」  全裸で間抜けなポーズを取り到底人には見せられない顔を晒している画面内のセシルは、誰がどう見てもまともではなかった。それを見たセシルの頬は羞恥で僅かに紅潮し、一気に青ざめた。その様を見ながら男はゲラゲラと下品な笑い声を垂れ流した。 「絶対に無理だろうけど逃げたらすぐにこの写真ネットにばらまくからね。事務所の力でもみ消そうが、僕の力で何度でもばらまき直してあげるから」 「……っ」 「ニヤニヤして黙ってても分からないよ。喋っていいから返事は?」 「……もうこんなことはやめてください」 『返事は?』 「そんなことしなくても……、ずっと一緒です……。…可愛く撮って頂き……ありがとうございました……」 「次もっと嬉しそうに言えなかったらその格好で街中練り歩かせるから」  言わされた文言を絞り出すセシルを見下しながら、男は写真を保存した。たった数時間でセシルの尊厳は滅茶苦茶に破壊されていた。  そして男はこのようにして誰も見たことがないセシルの姿を強制的に引き出し、掌握していく度にこれ以上ないほどの快感を得ていた。愛島セシルという存在を自らの手に握り込み、押し潰していく背徳感と虚無はそれだけでも充分な興奮材料だった。それなのにセシルは今も尚、精一杯の抵抗を垣間見せてそれに抗おうとしている。ここまで甚振っても何も諦めない姿は男を痛烈に煽っていた。  だが、そこまでしてセシルが抵抗し、戻ろうとしている理由は一つだ。嫌でも解ってしまう。あの女。舞台袖で見たあの光景、仲睦まじい甘い空気を思い返す度に薄暗い感情が沸き立つ。これまで与えた恥辱は他人の金と人生を弄び、甘い汁を啜ろうとした罰だというのが男の理屈だった。  男は人生を棒に振った。次に人生を蹂躙されるのはセシルの番なのだ。 「じゃあそろそろセシル君も怖いのや痛いの嫌だろうから、楽しいことしようね」  その言葉から次に何をされようとしているのか察しがついてしまった。  もう何もしないでほしい。そう思って力無く首を振るセシルの願いも虚しく、男は次の命令を口にした。 『セシル君って今まで何人の女食ってきた? オナニーしながら教えてよ』 「絶対に嫌です。……嫌っ! どうして自分の力をこんなことにしか使わないのですか!」  どこまでも下劣で最低な命令に吐き気が込み上げていく。  だがそんな高尚な感情を抱き続ける暇も無く、セシルの両手は下腹部へと伸びた。支配を打ち破る隙もないほど男はセシルの全てを見ている。足を開いた姿勢では擦るだけでも自慰を見せつけるような形になってしまい、それが更にセシルの羞恥を煽った。 「……っワタシが今まで付き合ったのは、一人です」 「一人だけなんだ! 一途で可愛いね。あの彼女?」  思わずセシルは男を睨みつけた。このような卑怯で下劣な精神の男が恋人について言及するという事実だけで不快だった。だがその凛々しい表情も下肢を無理に擦り上げながらではあまりに滑稽で、男の表情は緩むばかりだった。 「図星なんでしょう、分かりやすいねぇ。その顔と立場じゃ女の子食い放題だったろうに。ほらほら睨まないで、可愛い顔が台無しだよ」  いっそ滅茶苦茶に犯すなり、殴られるなりされる方が余程マシだった。男の考える命令はそうさせられている情けない自分をはっきりと認識させるだけ、余計に惨めさが募っていく。そんな状態で、更に人に見られているのでは躰も反応する訳がない。萎えたそこはどれほど擦ろうが力無く垂れたままだった。 「セシル君はオナニーも下っ手くそじゃん。その年なんだしやり方くらいは分かるでしょ」 「……無理です。質問には答えたのですからいいでしょう」 「いい訳ないよね? 自分が中々勃たない不能だからってふてくされてんじゃねえよ」  男はセシルの頬を張った。だがセシルは醒めた目を男へと向けていた。男の精神性を軽蔑していることをセシルは隠そうともしていない。寧ろ男の殴打は、身体的な力は大したことはないと認識させる結果にしかなっていなかった。 「……もしかして春歌ちゃんとヤッてて、オナニー練習する暇なかったとか?」  だがその問いを聞いた瞬間、セシルの躰が僅かに震えたのを男は見逃さなかった。 『何で黙ってるんだよ、はっきり言ってよ!』 「……はい。ワタシは春歌と、その、セックスをしていました」  セシルの回答に男は舌打ちで答えた。侮蔑を含んだ眼差しがセシルを睨む。だがセシルが感じている怒りはそれ以上だった。白状させられた事実にセシルは音が鳴るほどに奥歯を食いしばる。  彼女との精神的な繋がりを確認する為の行為を、男が単なる性欲処理として貶めようとしているのは明白だ。  それも自分の口でそんな歪めた内容を言わされることへの怒り、もし躰が自由ならば掴みかかることも厭わない気迫が部屋に充満していく。 「はぁ~……そっか、やっぱりかぁ。はっきり言われると本当にキツイなぁ。……何その顔は? ヤリまくってたのは事実じゃん。で、どうやってあの子とヤってたの?」  男の問いにセシルの目が見開かれる。それだけは絶対に明かしたくなかった。咄嗟に舌へ歯を立てて押さえ込もうとしたが、勝手に動こうとする躰にそんな抵抗は無駄だ。  瞼にキスをして、抱き締めて、服を脱がせ合って。途切れ途切れに絞り出されるその声は怒りと無力感に震えていた。一晩での回数、一カ月の頻度、体位、前儀の順番、掛ける時間の長さ、何もかも細かな所まで男が望むままにセシルの記憶は吐き出される。どんなに親しい人間にも決して明かさなかった二人だけの秘密。  それを意志に反して、淫猥に誇張した醜聞として垂れ流してしまう苦痛にセシルは打ちのめされていた。  男はその様を見て下種な笑みを強めていった。セシルの聖域を握り込む喜び、そして目の前の青年が他人の物だった憎しみが入り混じり、痺れるような情感が全身を貫いた。 「これこれ、こういうのが聞きたかったんだよ。雑誌でもさぁちょっとエッチな話題になるとカマトトぶって適当にごまかしてたのセシル君の悪い癖だよ? 全部分かっててやることやってんじゃんこのエロガキ。何がピュアだよクソッ……クソッ……こんな奴に僕は……」  男は悔しげに頭を掻き毟っていたが、セシルにはそんなことはどうでもよかった。  彼女の膚の細やかさも、潤んで此方を見つめてくる瞳の美しさも、紅潮した頬も、遠慮がちに上げられる嬌声も、包まれる温もりも、何一つ渡したくなかった。  そんな強い拒絶感とは裏腹に大切な秘密を男に自ら明け渡していく悔しさに視界が歪む。 「ごめんなさい……」 「それは僕に謝ってんの? それとも彼女ちゃんに? いや言わなくていい。聞きたくない。だけどさぁセシル君、そんなこと言ってしっかり感じてるじゃん。悲しむか盛るかどちらかにしなよ」  身を切るような罪悪感に苛まれながらセシルは項垂れた。  男の指摘に何も言い返すことが出来ない。恋人との行為を思い返しながら膚を滑る指は自然と同じ軌跡を描き、躰は意志に逆らい勝手に息を荒げていたのだから。  既に陰茎は質量を増し、先走りが手を穢していく。男として当然の生理反応とはいえ、躰が目も当てられない痴態を晒しているのは紛れもない事実だった。罪悪感に手を止めようとしても、男がそれを許さない。 「やめてっ……! っあ…、ああっ! ごめんな、さっ……嫌だぁっ!」  嬌声と謝罪が入り混じる悲痛な声を聴きながら、男はこれ以上ないほどの優越感に浸っていた。  手が届かない存在だったあの愛島セシルが、自分が今までしてきたものの何倍も惨めな自慰に興じている。  これが復讐と言わずに何と言えるのか。どんなステージよりも素晴らしい光景に男は興奮を隠さなかった。 「へぇ~こんな風に腰振ってたんだ。彼女ヒイヒイ言ってたでしょ、もう二度と出来なくて可哀想だね」  セシルが無垢な彼女にどのようにして快楽を教え込んだかを、男は特に詳しく聞いていた。春歌が処女だったことも、感じやすい躰だったということも赤裸々に明かされていく。男はそれらを暴かせることで、若い恋人達の行為を踏み躙っていった。今後セシルがどう生きようが、彼の幸福な記憶にはこの恥辱が永遠に染みついたのだ。  セシルの瞳が憎悪を滲ませて男を睨んだ。初めて見るその表情を見ながら男は溢れる手汗を拭く。これほどの憎しみをあのセシルから受けたのは自分が初めてに違いない。  自分がセシルの〝初めて〟になったという感動に男は打ち震えた。  だが語られる情景からどうしても見えてくるものがある。  二人で強く繋がれた手、交わした口づけ、決して痛みを感じないようにと願って触れられる柔らかな躰。  そしてそれを口にする度にセシルの瞳に一瞬宿る色。  世界でただ一人への想い。その一端、一番大切な想いを暴いていく度に男は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。  セシルが一瞬息を止め、指先の動きが早まっていく。  絶頂が近いのだと男はすぐに悟り、俯くセシルの髪を慌てて掴み上げた。 「顔隠しちゃ駄目だよ。ほら、彼女でもないおじさんの前でイキ顔晒してみようねぇ」 「いいかげ……んにぃ、う゛ぁっ! こんなの、嫌っ……だ……ぁ!」  怒りのあまり声が上ずる。だが普段の行為を的確に再現させられている今、指は一番良い部分を絶妙な加減で擦り上げる。それを好奇の目で見る男の視線に羞恥を掻き立てられ、熱は加速度的に増していく。  セシルは最後まで自分の躰に抵抗した。 「ふっ…っ……ぐぅうう゛ううっ!」  噛みしめられた唇からは血が垂れる。口に溢れる鉄の味を感じながらセシルは男から目を反らした。我慢し過ぎた分だけより多くの白濁が手を伝っている。 「可愛かったよ~セシル君っ! 顔真っ赤にしてイク時躰がピーンってなっててさぁ、セシル君もなんだかんだ言ってただの男の子なんだよね。ドスケベで本当に良かったよ」  目を爛々と輝かせて話す男の一言一句を聞く度に吐き気がした。そのまま男はセシルの手を取ると、伝う精液を音を立てて啜る。 「ひっ!」 「これがセシル君の味なんだね……ほんのり甘くて滑らかで美味しいなぁ…アイドルってこんな所まで俺達一般人とは違うんだね……」  汚らしい中年男に精液の味を評される悪夢のような情景。  寧ろ悪夢の方が余程マシだった。  ただ見ているしか出来ないセシルを見て、何を勘違いしたのか男は満足げに微笑んだ。 「そんなに自分の味が気になるのかな? いいよ、教えてあげる」  手に残った精液を男は口いっぱいに含むと、セシルに顔を近づけた。その瞬間セシルは自分が何をされようとしているのか理解してしまった。 「やだっ! それだけは嫌! やめて! いやぁああ゛ああぁああっ!」  首を振って絶叫するセシルの頬を男は両手で押さえると、その唇に吸い付いた。男の口臭と精液の臭いがセシルの口内を通って鼻腔を満たす。それだけで気が狂いそうなほど不快で気持ちが悪いのに、すぐさま男の唾液が混じった自身の精液が流れ込んだ。呼吸さえ気遣うことなく流れ込む汚液は喉を塞ぎ、食道と気道の両方に向かう。呻き声を上げながら悶えるセシルとは対照的に、男は初めて感じるセシルの体内を存分に味わっていた。  逃げようとする舌を絡めとり、歯列を舐め、粘膜の僅かな隆起まで感じながら、自分とセシルの唾液を攪拌して決して取れないよう擦り込んでいく。男が漸く口を離した時には、セシルは窒息寸前と容易に分かるほど顔を赤らめて激しく咳き込んでいた。 「きゃ~っ! セシル君とキスしちゃったよ。僕、キスって初めてだったんだよね。セシル君の神聖なお口穢しちゃってごめんねぇ。でもまさかファーストキスの相手がセシル君になるなんて夢みたいだよ……」 「……こんな無理矢理するキスに価値なんてありません」  流し込まれた汚液ごと吐き捨てるようにセシルは呟いた。  冷え切った瞳が男の固くなった表情を映す。蹂躙され、未だ残る悪臭と感触に吐き気が込み上げる。  あまりに非道なやり口に振り切れた怒りは、逆にセシルを冷静にしていた。当然、そんなセシルの様子を男が気に入る訳がない。男が指を鳴らすと躰に加えられていた力が解ける。  長時間無理な体勢を強制されていたセシルは床に崩れるように倒れた。 「ぐ……う゛っ!」  なんとか起き上がろうとするセシルだったが、その前に男に髪を掴み上げられた。 「セシル君が気持ちよくなったんだから次は僕の番だよね。そうでしょ?」  言葉こそ優しかったが、目を見て問いかける男の顔は鋏を投げつけた時と同じように狂気の色を孕んでいた。  唾液に濡れたセシルの唇を男の太い指がなぞる。 「この口で僕を騙したり、彼女にチューしてたんだね。もう二度とそんなこと出来なくしてあげる」  そう言い放つと男は自身の陰茎をセシルの眼前に突きつけた。セシルのそれには及ばないが、相当の大きさを持つ陰茎は、漸く収まった吐き気がぶり返すほどの悪臭を放っている。まともに洗っていないことは容易に推測出来る惨状だった。  亀頭にはチーズ状に固まった恥垢がそれを証明する様にびっしりとこびり付いていた。それを見せつけられるセシルの顔には冷たい汗が伝っていく。男は優しくセシルの頭を撫でると口を開いた。 『舐めろ』  セシルの口が自然に開かれ、薄桃色の舌が男の物へ迫る。  その行為をセシルがどう思っているかは見開かれた目から一目瞭然だった。躰の主導権を奪われ、言葉の形をなくした悲鳴が響く。セシルにとっての無二の聖域、それを自ら穢させる背徳感に男はそれだけで絶頂を迎えそうなのを必死で堪えた。口づけも贖罪として課した行為だったが、男を見るセシルの目は折れない意志を変わらず湛えている。  だからこそ、より滅茶苦茶にしてやりたくなるということを、セシルは理解出来ていない。そしてどうすればよりこの青年を傷つけ、貶めることが出来るのかを男は長年の研究で完璧に理解していた。  くちゅりと音を立ててセシルの舌が男の物に触れる。  そのまま口へ迎え入れると丁寧に舐めていく。男は此方を見上げてくるセシルの目じりを拭ってやった。  苦しいのだろう。彼の目元には薄く涙が溜まっている。  セシルの愛撫は稚拙だったが、あの愛島セシルが自分の為に跪き、奉仕しているというだけで十分に快楽が得られる。男はその優越感だけで射精しそうだった。唾液を擦り込んだ時のように決して落ちないよう腰を動かして肉の感触を刻み込んでいく。 「チンカスくらいならあらかた取れたかな。ほら、口いっぱいに溜めたの見せてよ」  セシルが口を開くと、唾液と老廃物の混合液が糸を引く。  真っ赤な粘膜へ黄身がかった恥垢が一面にべっとりと張り付いていた。これ以上開けば顎が外れる寸前まで開かれた口はその悲惨な様を容赦なく露呈する。 「あんな恰好よくお歌を歌ってた子が惨めなもんだよねぇ」  男は声一つ出せないセシルを鼻で笑った。 『じゃあそれ全部食べてね。舌で磨り潰して、よ~く味わって食べなきゃ駄目だよ』  言われた通り、舌が強制的に男の味を教え込む。塊を押し潰すと、溜め込まれ腐った独特の酸味が溢れ出した。  粘度の高い恥垢は歯の隙間にまで入り込み、噛めば噛むほど悪臭を垂れ流す。セシルはその細かな滓さえも吸い出し胃の中へ収めていった。セシルの精神が如何にそれを拒もうと、完全に支配下に置かれた躰は本能的な拒否反応さえ出来ない。 「どう? 美味しいでしょ。セシル君のこと考えてたら何日も熟成させちゃってさ、だからこれは自信作なんだよ。食べられて嬉しいね」  感想が聞きたいな、と呟きながら男が手を打つと漸く躰の主導権がセシルへと戻った。 「んげぇえ゛えっ! むぐぅ、う゛えぇ……おげ、え゛……っ」  途端にセシルは激しく咳き込み、未だ残る感触を必死に振り払おうとした。  だが恥垢は残らず体内に取り込まれており、唾液が布団に染みこむばかりだった。 「まずくて、気持ち悪い……こんなものを食べさせるなんて正気を疑います……」 「は? 違うでしょ、これほど美味しいもの私の今までの人生で食べたこともありませんでした。この馬鹿舌に最高の滋味を教えて下さりありがとうございました、でしょ?」 「……誰がそんなことを」 『じゃあ彼女の手料理とチンカスどっちが美味しい?』 「……っチンカスです」  「ぎゃはははははは! ば~~っかじゃないの!」  思う通りのことを口走らせ笑い転げる男の声が鳴り響く。  セシルは身を震わせて俯いた。噛みしめられた唇から血の味が広がっていく。  だがセシルがそのように激高するほど、男は増長していくこともセシルは分かっていた。それでもどうしようもない怒りが精神を押し潰していく。 「それじゃあフェラ続けてもらおうか。今度は僕が満足するまでやってね」 「むぐぅ!?」  男は喜色満面で再びセシルの口に自身の陰茎を押し込んだ。予告もなく無理矢理行われた行為に息が詰まり、身悶えるセシルの頭を押さえ込むと男は腰を動かし始める。 「仕方がないけどさぁセシル君のご奉仕やる気ないんだもん。こうやって! 喉まで使って! やるんだよ!」  まともな抵抗など何一つ許されることなく、セシルはただの性具として貶められていた。歯を立てることさえ禁じられているのを利用し、歯列の感触まで使って男は快楽を得る。亀頭が口蓋を擦り上げ奥の粘膜を殴る度に、セシルは苦しげに喉を締め付けた。  それは催眠など関係ないただの反射だったが、男は気にいったらしく何度も気道を塞ぐように欲望を叩きつける。  セシルはせめて息を継ごうと溢れる先走りを自ら音を立てて飲み干していく。  それがどれほど無様で滑稽な情景かも考えている余裕などなかった。 「ほら出すよセシル君! 僕のだってしっかり分からせてあげるからね!」  男の叫び声を聴いたセシルは血相を変えた。だが操られた躰は男の亀頭を最奥まで深く咥えこむ。 「やあ゛あ……や゛、えぇ……」  絞り出した僅かな懇願など、何の意味もなかった。  汚らしい音を立てて白濁が注ぎ込まれる。尚も男はセシルの口をティッシュ代わりに残滓を拭き取ると、漸く陰茎を引き抜いた。 『吐かないでね。飲み込んで口の中を僕に見せて』  今にも喉までせり上がる胃液を押し戻すようにして、セシルは男の精液を飲み干した。そのまま荒い息を吐きながら口を開く。途端に男の臭いが染みついた口臭が部屋へ垂れ流された。だがセシルの口内には一滴たりとも精液は残っていなかった。  自身の排泄物が残らず飲みこまれたことを確認した男は満面の笑みを浮かべて頷く。セシルは生理的な涙を目に溜めたまま男を見返していたが、削ぎ落とされていく尊厳に疲弊しきっているのは明白だった。 「じゃあ、もう一回よろしくね」  だからこそ男に掛けられた言葉にセシルは目を見張った。  男は僅かに垣間見えたセシルの恐怖心に興奮を煽られていく。 「こっちが何回セシル君で抜いてると思ってるの? 君を想えば幾らでも出せるんだよ。それだけ最高のオカズなんだって自覚を持って生きていこうね。それに教えたことは出来るようになるまでやらなきゃ。幾らでも付き合ってあげるからね」  そう言うと男は嫌がるセシルの口内に陰茎を挿入した。  それから何度口淫を強制されたかセシルはすぐに分からなくなった。それほどまでに男は執拗にセシルを責めたて、自身の種を擦り込み、飲み込ませることに執着していた。  男はセシルの内心さえもある程度分かるらしい。僅かでも歯を立てて抵抗などしようと考えれば、喉の最奥まで陰茎が突きつけられる。そのまま本当に死ぬ寸前まで陰茎を抜いて貰えなかった。 「おええ゛ぇっ……あ゛……もう、むうう゛ううぅ!」  口づけし、皮を剥き、音を立てて擦り上げる。達する兆候が見えれば亀頭を飲み込んで待ち、残滓まで残らず吸い出し、零れ落ちる隠れていた恥垢まで丹念に味わう。酸味と苦味が合わさり、喉奥にぶちまけられる汚濁は残らず体内へと吸収されていく。  セシルにとって最も大切な場所へ自らの遺伝子をまき散らす背徳感に男は夢中だった。男が興奮の絶頂へと登り詰める度に、セシルの精神は悲鳴を上げ追い詰められていく。  この対比こそ男の興奮に拍車をかけた。自身がいた世界とは正反対の構図。男が天国を見れば見るほどに、セシルは地獄へと叩き落される。  まさに夢見ていた復讐の実現だった。 「はぁ~気持ちよかった……。ほらもう一回セシル君口開けて見せてよ」  何度も口淫を強制され続けた結果、促されて開いた口には飲み込み切れなかった男の精液と恥垢が何重にもこびり付いていた。歯の隙間にさえ男の陰毛が何本か絡みつき、悪臭を漂わせているその姿は哀愁さえ漂う。 「純情めいた顔してこっちが専門みたいなお口になっちゃって、汚いねぇ。そんな口で称える歌とか歌われても君の所の神様も大迷惑だと思うよ」 「………っ」  図星を突かれたのか、セシルも最早男を見ようともせず俯いた。そんな所まで知られているのかと思うと寒気がした。少年の面影を残す肩は僅かに震えている。  自分のせいであの愛島セシルが傷ついているという事実を見せつけられ、黙っている男ではなかった。 「何被害者ヅラしてるんだよ、お前」  男はセシルの腕を掴んで揺すると布団へ押し倒す。  既に体力も気力も擦り切れているセシルがまともな抵抗など出来る訳がなく、男の意のままに横たわる。そのまま男はセシルの口へ再び陰茎をねじ込んだ。 「セシル君の綺麗な顔面をおじさんの汚い下半身で押し潰しちゃってごめんね! でも何度言ったら分かるんだよ、元々セシル君が全部悪いんだよ! これは贖罪なんだよ! 分かれよ!」  男の言葉はセシルにとって支離滅裂でしかなかった。  狂気と欲情を孕んだ目がセシルを睨む。それを見て意図せずとも恐怖の色を浮かべるセシルを見ながら、二人の間には永遠に分かり合うことの出来ない溝があることを男は思い知る。度重なる行為で男も既に限界だった。何とかして自分を押しのけようとするセシルの腕を押さえながら男は絶叫した。 「出すよセシル君! 誰と付き合ってようがセシル君の口便所に出来るのは僕だけだから!」  男が叫ぶと同時にじょぼじょぼと音を立てて尿が迸った。  また精液を飲まされるものと思い込んでいたセシルは全く違う量と感触に液体を逆流させていく。 『ふざけんな! 飲め! 全部飲むんだよ!』  途端に躰は喉を鳴らして汚液を飲み込み始める。それでも叩きつける様な勢いで噴射されるそれに追いつける筈もなく、形の良い鼻からも尿と鼻水の混合液が噴き出した。 「ごぼぉっ!? う゛おぇえ゛えっ! やあ゛ああぁっ! もうや、がはっ、ごほっ、お゛おおっおおっ!」  溺れないようにする為、命を守る為にセシルは自ら男の尿を必死になって飲み込んでいった。それに追い打ちをかけるように男は陰茎をセシルの喉奥に押し込んでいく。  溢れたあらゆる体液がセシルの顔を穢していった。男が漸く腰を上げた時、現れたのは酷い顔だった。  強い光を宿していた瞳は半ば虚ろで辺りを彷徨い、鼻も口も尿と精液でベタベタに汚れている。だらりと舌を垂らして微かに呼吸するその姿からは、セシルとすぐには分からないだろう。 「うっわ~アイドルにあるまじき顔。このお顔も写真撮っておこうね」  男は写真を撮ると、セシルの隣に横たわった。今日はこれ以上続ける体力は男に無い。男はセシルを抱き寄せると耳元で囁いた。 「じゃあ僕のオシッコかかった口で、春歌ちゃんとチュー出来るもんならしてみてね」  半ば意識を失いつつあるセシルにとって、その言葉はまさに呪いだ。行き場のない感情が津波のように押し寄せる。  だが、それが実体化する前に男はセシルの瞼を閉ざした。
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